2012年4月30日月曜日

反省

   先日、長男の肺気胸の手術については、ブログで報告させて頂いたが、以前のご説明の通り、手術した後に、もう片方の肺も完全ではないという事が発覚し、そちらも手術が必要という事になり、でも緊急ではないので、夏休みにでも検査の上、相談しましょうという話になった訳だが、今度は三男(中学2年生)が胸がチクチク痛むと頻繁に言い出し始めて心配している。
うちの三人の子供は(全て男の子)元々、昔の私に似て(残念な事に今は、無謀なお酒と食事で、緊張感の無い身体になってしまいダイエット中・・・)かなり細くて体力もあまりあるほうではない。
そんな事もあり、学者肌(親バカ・・)の長男を除いては、二男、三男共にたくましくなってほしいという私の願いもありずっとサッカーをやらせていた。もとい!本人たちの希望がありやっていた。
今回の話を聞いて、まだ子供だし、疲れているだけだろうと思っていたが、長男の時の様に2年も前から「深い眠りにつけない」、「何となく息苦しい」etcと言われ続けていたにも関わらず、「大げさだな!」、「大丈夫だよ!」と真剣に聞いてあげなかった挙句に手術になってしまうという苦い経験をした私は、後悔と共に、未だに申し訳なかったという思いもあり、今回は何も無ければそれでいいし、素人考えで勝手に判断しないで速やかに病院に検査に行こうと決断した!
結果については、またこのブログで報告させて頂くとするが、最近自分の健康然り、仕事においても、今までの自分のつたない経験だけで、「大丈夫だろう」、「そうに違いない」、「そのはずだ」等、勝手に判断している事が多すぎやしないか?と少し反省している。
よく道路工事などをやられている会社の方から、我々の仕事は「だろう!」は厳禁で、必ず自分で最後まで徹底的に確認するのが最も重要な事なんだと聞いた事がある。それは、人の怪我や下手をすると命にまで及ぶ事故を起こしてしまう可能性があるからだと言う。
しかしよく考えると、この事は、道路工事の仕事に限らず、私の仕事も含め様々な事に言える事ではないだろうか?

3.11あの未曾有の震災をはじめ、相変わらず毎日の様に痛ましい事故や悲惨な事件のニュースが絶えない日が続いているが、世の中を見れば引き続き一層のデジタル化が進み、弊社もごたぶんに洩れず業務の効率化を図るという名目でシステム化を推し進めている中で改めて思うのは、どんなにそれを進めても、動かしコントロールをするのは人間であり、どこまでいっても最終的には現場はアナログである。また更に、最近はコミュニケーションスキルが低い人が多くなったとも聞くが、こんな時代だからこそ、私ももう一度言葉の持つ意味をよく考え、言葉を大切にし、言葉に責任を持ち、言葉で人に伝え続け、「だろう!」判断は完全にやめて、毎日を生きてみようと思う。

しげる

2012年4月23日月曜日

ハナミズキ祭りの御礼・・・shuji


先週のブログ番は私でしたが~
15回目(延べ70日くらい)の被災地ボランティアに行っていたため
代わってもらいました~(kinyaありがとう)



4月21日(土)・22日(日)の 小手指ハナミズキ祭り CJ会の復興支援ブースにて
宮城県七ヶ浜町 星のり店さんの 海苔 と
岩手県陸前高田 山田さんと佐々木さんの ワカメ(おおふなとわかめ) を
寄付金とセットで販売させていただきました。


たくさんの方々にご購入いただき ほんとうにありがとうございました!!!

この場をお借りして 御礼を言わせていただきます。
(お預かりしている寄付金は 読売 光と愛の事業団を通して東日本大震災の復興へ役立てていただきます。詳細報告は5月11日の市民新聞にてお知らせする予定です)



当日は
陸前高田より わざわざお手伝いで 山田さんと佐々木さんが所沢まで来てくれました。

被災地でのボランティアで出会って交流が始まり・・・
今では 助けたり助けられたり~
山田さんと話しをしていて、 きっかけはとても悲しいことだったけど・・・
出会いって良いもんだ!なぁと 言っていたのが印象的でした。

これからも
陸前高田の獺沢漁港の牡蠣のイカダ作りのお手伝いをもっともっとやらせてもらわなくちゃなぁ・・
ほんの少しでも お役に立てるなら~


七ヶ浜の星さんも
最盛期のお忙しい中、何度も何度も私たちのために時間を割いていただき・・・
今回販売をさせていただいた海苔もギリギリで生産が間に合った、とても鮮度が良いものでした。

山田さん・佐々木さん、星さん
ほんとうにありがとうございました!


みなさんには ほんとうにたくさんのことを教えていただいています。


日々 生活に身体にたくさんのコレステロールが付いている私たちに
多くのことを伝え、教え、見せて、感じさせてくれています。


そこから わたしたちも学ばなければ。

学びといえば、こんなことも

今回のハナミズキ祭りの販売ブースの前で
一人の小学生くらいの女の子が通り過ぎて、また戻ってきて
自分の財布から 寄付金BOXに硬貨を入れていってくれました。

そのとき 思い出したのは

去年、駅前での寄付をお願いしていたとき まったく同じ光景があったことでした。

自分のおこづかいを・・

一度は恥ずかしかったのか通り過ぎ・・

でも、何かを自分もしたい!力になりたいという思いからの行動・・

温かく感動的でした。

(去年は不覚にも涙が落ちましたが、今回は笑顔でその子を見送れました)

あの子たちは しっかり何かを学び取っているに違いない。

子供でさえ 感じているのに・・

大人は どうだろう・・


のど元過ぎれば熱さ忘れる


もういつもの 当たり前の生活になってやしないだろうか・・

まだまだ、なにも良くなっていない生活や
先のことなど、まったく考えられない状況の人が いることを

忘れてないだろうか・・

相変わらず、 政局の話・・  

復興支援のための話や将来のビジョン
ときには 厳しいが本当に必要な提案や決断
それをやって 未来を少しでも発展繁栄させていくために動いてくれるのが政治家では?
まぁこれ以上はここで触れても・・って感じだからやめますが(ちょっと脱線)

もう一度
みんなで 出来ることを出来るだけ 復興支援のために役に立つことを!


今回の ハナミズキ祭りに際し

お声掛けいただいた 小手指まちづくり事業協同組合のみなさま
サポートいただいた 読売新聞所沢センターさま
お手伝いいただいた メンバーの家族のみなさま
お買い上げいただいたみなさま

星のり店さま
陸前高田の山田さん・まこっちゃん

ほんとうに ありがとうございました!

CJ会を代表し 感謝 感謝 感謝 です。

メンバーも お疲れ様でした。

2012年4月17日火曜日

勇気と情熱

今日は私 広瀬の番ではございませんが、代表が被災地にてボランティア活動のため、交代させていただきました。

 はて? どんなことを書こうかと思いあぐねていたところ、ふと机の前の壁に目をやるとそこには、作家 浅田次郎氏の「勇気と情熱さえあれば何もいらない」と、直筆(もちろん印刷ですが)で書かれた短冊風しおりが掲げられていたのです。
 
 これは、去年の七夕の季節に、売り上げが義援金になるという短冊を購入したときに同封されていたもので、この言葉が気に入って壁に掲げていたのでした。

 普通短冊には、希望を書きます、たとえばこの場合「勇気と情熱がほしい」と、ところがそれを「勇気と情熱さえあれば何もいらない」と一工夫するところが、さすが、プロの作家だなって感心してしまいます。

 写真もまたしかりで、良い写真にはなにかひとつ仕掛けがあるというか、エスプリが効いてるものなんです。
 
 むかし、篠山紀信氏が、「ぼくには写真の神様がついていて、たとえば、ここでいい雲がこいって思うと画面の端からいい感じの飛行機雲が現れたりするんだよねー」なんて言ってたのを思いだしました。料理で言うと隠し味みたいなものですかね。
 
 話は「勇気と情熱」に戻ります、あらためて「勇気」ってなんだ?

勇気(ゆうき)とは、普通の人が、恐怖不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと。勇ましい強い心をいう。

さらに
情熱(じょうねつ)とは、激しく高まった気持ち。感情が熱している(熱されている)心理状態。

とあります。(ウィキペディア参照)

 そこで、ひとつ思い出したことがあります。遠い昔、小学生の頃はじめてバック転が出来た日のこと、後向きで飛ぶのが怖くてものすごく躊躇しているのだけれど、いざ勇気を決めて「えいやっ」ってやってみると、もう次からは全然平気でできたこと、小さな壁を乗り越えたあの日。昨日までの自分とは違う自分になれた気がした。
 
 あれから、40年くらいか、、、、あらためて勇気と情熱を思い起こし、明日からがんばってみよっ!

 しかしこうやって、ブログを書くことによって自分自身、新たな発見があるのはいいことですね。

 今週末は、メンバー全員で被災地の海苔を販売しますね、勇気と情熱でつくられた海苔を、勇気と情熱をもって販売しましよう!

2012年4月2日月曜日

祖母の葬式

先週、まだ雪深い新潟の長岡に祖母の葬儀の為、訪れた。

もう春は間近なはずのに今シーズン記録的な豪雪の為、想像を絶する状況を目の当たりにしたところからのスタートだった。

母方の祖母が94才で亡くなったが、大往生なので号泣している人も少なく、私自身も悲しさは少なかった。


田舎の葬儀は今回初めて出席したが、そこはまるで映画の1シーンの光景ばかりでとても感動の連続だった。

一般的には亡くなった次の日には中々行わないものだが、ここの田舎の風習では翌日に必ずお通夜を行うらしい。

私も年度末で忙しかった為、少し落着いたらお焼香にお伺いする予定の気持ちが最初は強かったが、何故か不思議と気づいたら新幹線に乗っていた。

母の実家は地域ではとても有名な家で、地元新潟で有名な山本五十六や田中角栄を始め早々たる人が頻繁に泊まりに訪れた事のある由緒ある家だった。

そして先程映画の1シーンと述べたが、生涯経験の出来ない様なとても感動した2日間となった。

通夜、告別式は家の中で行い、物凄い人が焼香に訪れた。出棺時も家の前に大勢の方が訪れ、なんとも言えない雰囲気だった。私は身内だった為、その様子を隅から隅まで見れたが、私の中では完全に映画の中だった。

一般的な地域では通常セレモニーホールで行う事が普通なのでこの雰囲気を味わうことは無かったが、田舎の独特な葬儀は実に素晴らしかった。


また何十年振りに会った従兄弟や親戚の叔父叔母との再開もとても感動した。


日帰りの予定だったがどうしても帰りたくなくなりそこに一泊したのだが、朝方まで話は盛り上がった。

もし仕事で忙しい事を理由に即新潟まで足を運ばなければ、この感動と再開は無かったと思うと人生の中でとても損をした気がする。まさに紙一重だ。

うちのリーダーの行動力にはいつも敬服するが、動かなければ結果はゼロ、動く事でその行動の先には必ずプラスとなる何かが必ずあるという事を改めて亡くなった祖母から教育された気がする。

Y.H