2015年3月30日月曜日

桜散る・・・         M.KOMORI



ようやく桜も咲き春めいて来ました今日この頃。写真のソメイヨシノはお客様の倉庫前に咲いていたものを撮影しました。この場所は関越道新座料金所の隣地にある場所なのですが、40年前畜産業を営んでいた時に新座市役所から美観保護の為、桜の苗木を頂いたそうです。10本以上植樹されたそうですが、今現在残っているのは3本だけ。

ソメイヨシノの寿命は短いらしいです。一説によると60年位かと。人が手をいれて大切にして行かないと桜の名所もなくなってしまいますね。

 

そんな春うららかな我が家の近況を少しだけ。
この春で、長女:高2、次女:高1、三女:中一、四女:小四
この少子化時代に子供4人。なぜ少子化なのか?今やっと分かりましたいや体感しましたそれは「お金がかかる!」です。
よく言われている数字は教育費だけで、ざっと子供1人あたり2000万円(幼稚園~大学卒業までの教育費)
4人いる我が家は教育費だけで計8000万円!考えただけでぞっとします。

そんな訳で我が家では「学校は公立」「塾へは行かない」が暗黙のルールとなっているのですが、表題の様に長女に続き次女も県立高校に不合格(涙

それも春からは散々ばかにしていた、長女と同じ私立高校に通う事に。私立高校に二人入学。財政的にもきびしいなと思っていた所、小6の三女が「パパ私に任せて。私は絶対やつらが落ちた○○高校に受かるように中学校入ったら一所懸命勉強するから!」と。なんて良い子だ。

三女「でもさ、あたしヘアメイクの仕事したいんだ。美容師さんって腕だよね?」
と鏡の前でポーズを取りながら言った。
うーん三女も彼女たちと同じ匂いがする。二度あることは三度あるな確実に。
桜の樹齢に負けないように頑張ろうっと!


2015年3月23日月曜日

マイナンバー            S. UENO

近頃マイナンバーのことが気になっています。
最近上戸彩さんのテレビCMが流れ始めたので、改めて気になり始めた次第です。
そもそもマイナンバーとは何なのか、自分でも分かっているようで実はよくわかっていないので、改めて整理してみました。
以前はよく「国民総背番号制」と言っていたと思いますが、いつのまにか呼び方が「マイナンバー」とソフトになっていたのですね。確かにこの方が無理矢理付けられる感のある「背番号」より抵抗は少ない気がします。うまいネーミングです。
内閣官房の解説ページによると
"
マイナンバーは、住民票を有する全ての方に1人1つの番号を付して、社会保障、税、災害対策の分野で効率的に情報を管理し、複数の機関に存在する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されるものです。
とのこと。
要するに、日本国の住人にそれぞれ固有のIDを付け、税の負担も行政サービスもそのIDで一元管理することで、徴税と行政の公平化と効率化を実現する、というような事です。
理論的にはすべての公的な書類が繋がる訳ですから、脱税や補助金の不正受給等ができなくなり、公正化がはかられます。
逆に本来受けられる保護を知らないが為に受けられなかった弱い立場の人達を救い上げて、より皆が暮らしやすい社会を実現することにも繋がります。
また、各役所毎に持っている様々な情報を繋ぐことができるので、現在各種の申請で大量に書いている、似たような必要事項や申請書そのものが削減されるようになるとのこと。
なお、このマイナンバーは日本国民ではなく、住民票を有する者に対して発行されるので、中長期在留者や特別永住者などの外国人にも通知されます。
よく外国人の脱税や不正受給的な話があり、我々の血税が無駄遣いされているのではないかという懸念がありますが、そういった不正や不公平がこれで解決されれば、外国人の方も疑い目で見られることがなくなるので、良い事の様にも思います。

マイナンバーは今年の10月から市町村より通知が開始されます。そして早速来年28年1月から、社会保障、税、災害対策の行政手続にマイナンバーが必要になります。
我々経営者の立場で見ると、従業員の健康保険や厚生年金、源泉徴収などにマイナンバーが必要です。
事務の準備やセキュリティの再確認など、開始前にやるべき事がたくさん有りそうです。
皆さんはこのマイナンバー制度導入をどう考えますか?
いずれにしても、来年1月なんてもうすぐそこですから、直前になって慌てないように、今からしっかり予習と準備を進めておく事は必要ですね。

 

2015年3月16日月曜日

2045年問題について    広瀬



 もうすぐ春ですね〜 今年、首都圏では去年のような大雪などによる大混乱は起きませんでしたが、日本海側や北海道ではこれまでにない天候不良が続いたようです。
昨日はバヌアツというところで大型ハリーケーンが発生、人口の半分が被災したとのニュースがありました、地球温暖化の影響かどうかわかりませんが、世界中で自然災害は増えているように感じますし、人類が存亡していくためには世界中で考えていかなくてはならない問題だと思っています。
 

 そんな中、最近気になる話題なのが「2045年問題」、簡単に説明しますと(以下 引用) 現在、私たちが使っているパソコンのCPU(中央演算処理装置)には数億から十億個のトランジスタが集積されています。一方、人間の脳には1000億近い神経細胞があるといわれています。神経細胞とトランジスタが同じ役割を果たすと仮定すると、コンピュータの能力が100倍程度になれば、理屈上、人間の能力と同じになるわけです。
 

 なにかとてもわくわくするような気がするのですが、どこが問題かといいますと、ターミネーターのような世界が本当に訪れてしまうかもということらしいです。
 人工知能を持ったコンピューター同士が結束して更に優秀な人工知能を作り上げる・・・・そして最後は人類を支配しようとする・・・ホントかな〜? んーよくわかりません。「じゃーコンセント抜いちゃえばいいじゃん」と思ってしまうのですが、そう簡単に行くわけがない。
技術の進歩は誰にも止めることは出来ないのです。この技術が世界平和のために使われることを祈るばかりです 例えばこんな感じです。

 人工知能も発達し過ぎると心を持った奴が現れるかもしれませんよね、話せばわかるやつとか出てくれれば、本当の意味で癒しのロボットが出来ると思うし、それが人や動物のカタチをしていたら尚いい。
 
 2045年 広瀬欣也 80歳、最後はグラマラス看護師ロボットに看取られ、旅立ちました。

             以上 30年後の未来予測でした。


2015年3月9日月曜日

新・三八の市                 Shuji

昨日は所沢市元町のコミュニティ広場にて「新・三八の市」に
ところ産食プロジェクト通称「とこプロ」として出店させていただきました。
スタッフ人数は6人
全員が飲食関係の経営者なので、
仕事がはかどるはかどる(笑)
地元の野菜販売~里芋コロッケ~クレープ~パン~ビール~サングリアなどなどを扱いました。

古くは所沢市に200年以上前からという説もある三八の市
所沢のぼろ市とも呼ばれるくらい古着は人気の的だったとか。
今回も20店の出店のうち、古着物や古布を扱うお店が半分をしめていました。
正直あまり接点がない世界だっただけに集客に不安がありましたが
生憎の天気にも負けることなく、なかなかの来客がありました。
古布のファン層…恐るべし!
年齢層は高めでしたが、こういう文化も大切だなと思い知らされました。

今回の我々のブースは
プロの職人がコロッケを揚げて
野菜を説明して並べて
パンやクレープやドリンクを販売し~
とにかく今までのイベント出店の中では、仕事の効率やクオリティが高く、良いチームワークを楽しむことが出来ました‼
さすがそれぞれが各社の柱、頼もしく観させてもらい学ばせていただきました。

いろんなイベントを通して
いろんな経験や勉強を積み
クオリティを上げて行く
撤収後の二次会の酒が美味しくて美味しくて、ついつい飲み過ぎてしまいました。

次のイベントは
5月17日の「読売リサイクルカーニバル」… (株)ジェスト・とこプロ
5月30日の「第8回おやじフットサル大会」… CJ会
と続きます。
それぞれのイベントを通して
出逢いを増やし、経験を積み、学びクオリティを上げて行き
自分の会社や生活にいかして行きたいと思います!

自分の知らない世界
自分の興味のないもの…
そういうものにも心を寄せて
ちゃんと観てみると発見や学びがあることを知れた日でした‼  感謝!

2015年3月2日月曜日

親友とのお別れ  iga

1月の仕事初めから1日が過ぎた6日の夜に、予期せぬ一本の電話が自宅にかかってきました。
子供の時からの大親友が亡くなったとの連絡が娘さんからきました。

数年前に電話があり、その時にお客様との接待の真っ最中で電話に出れなく、その留守電には
自分への罵声が録音されていました。
その週の日曜日に、友人の家へ出向き謝ろうとしましたが、奥さんが玄関先で自分とは会いたく
無いと言われ、それっきり会っていませんでした、そしてふた月前に「お互い年をとってきたので
久しぶりに会おう」ということになり友人の自宅におじゃますることになりました。

ひと月前に数年ぶりに会い2時間程昔話をし、他愛も無い話をして、あっという間に時間が過ぎ
昔を思い出しました。
何故かお互い、数年前の話は出さずに、将来の事や子供の事などを話して、年が明けたら
今度は自分の家に来るという約束をして別れました。
その時はすでに、”がん”が進行していて余命もわかっていたように思いますが、一言も話しが
無く、心配させまいとの彼のやさしさだったのかもしれません。

彼とは、高校を卒業した後に彼が就職、自分は大学進学で一緒に東京に来て、お盆・正月も
一緒に帰郷をし、お互いのアパートや寮に泊まったり、結婚式もお互いに出席する付合いを
していました、お互いの子供も親戚のように接して、親兄弟よりも家族で一緒にいる時間が
多かったように思います。
今でも悔やんでいることは、彼に何もしてあげられなかったことを悔やんでやみません。

告別式に出席し、変わり果てた姿に、現実を認めたくなく言葉が出てきませんでした。
お別れに出席した人たちは、優しかった彼の生前を惜しむように悲しみに暮れていました。
二月が経った今でも、毎日思い出します。

知人・友人が先に逝くことは覚悟しなければいけないのですが、この親友の死はかなりひきずって
います。

自分もいくつまで生きられるか分かりませんが、みんなに愛されて旅立っていきたいと思います。