2021年2月15日月曜日

CJ会の振り返り     SHUJI

緊急事態宣言下のいま CJ会を振り返ってみた。 2002年 CJ会を立ち上げたときの気持ちや、当時みんなで話していたことは… 若手の異業種経営者達で何か意見交換をしたり、地域貢献をしたり、ボランティアをしたり、とにかくこの街を元気にするお手伝いをしよう!とか、自分達が出来ることや他人の役に立てることをしよう!みたいな話しが多かったと記憶している。 それぞれの仕事や業界の話しが聞けたり、 それぞれの業種や立場からのものの見方や価値観が話せたり、ときには激論もあり。 一緒に行動したりイベントなどを企画するにあたり、考え方やすすめ方の違いや学びがあり、それらを自分の会社やプライベートに持ち帰り、活かしていく。 そんな会の立ち上げ経緯だったり、会の運営だった。 やってきたことの中には ・月イチでの定例会や年イチでの神明社様での公式参拝 ・シーズン途中にも関わらず、当時の西武ライオンズ伊東監督をゲストに迎え.100社以上の経営者を集めた異業種交流会 ・地元ケーブルテレビの番組を担い「元気◯◯プロジェクト」と題し、地元のいろいろな団体や企業などに出演を依頼して、たくさんの方々にテレビ出演をしてもらい、それを観た人達に元気になってもらおうと制作もした。 ・南住吉の県道300m位の「道の里親」として、道路の掃除や装飾をするロードサポート ・当会に関係していただいた方々やメンバーのファミリーを招いての、クリスマス会や忘年会などのおもしろ企画イベントや季節の集まり ・東日本大震災復興支援の協力として、市民に呼びかけて寄付を募り、その寄付金で陸前高田の獺沢漁港で牡蠣の養殖をしている漁師さん達に送ったプレハブの「襷小屋」 その小屋の壁には、寄付金協力者から貰ったたくさんのメッセージシールを貼り応援の気持ちを表した ・東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田へのボランティア、海側から見た奇跡の一本松が懐かしい。 ・そこの漁師さん達との交流。陸前高田市少年野球チームを所沢に招待し、西武ドームの試合前の選手達とグランドでハイタッチと国家斉唱、また懇親会では選手達と交流する懇親会 ・復興支援企画として、12回開催している35歳以上限定、「おやじフットサル大会」 10回記念大会のゲストには、世界でベスト監督賞を受賞した、なでしこジャパンの佐々木元監督にも起こしいただいた。 ・被災地の福島県からは、養護施設の子供達を所沢市に招待して西武園やプールで遊んでもらうイベントを他団体と共催、古民家での流しそうめんなども喜んでくれた。 ・メンバーでの旅行も宮古島や奄美大島、鹿児島やライオンズの高知キャンプ巡りなど、いろんなところへも行った。 まだまだキリがないくらい、たくさんいろんなことをやってきた。そしてたくさん笑った。 その都度その都度いろんな問題や軋轢もあり、考え方や進め方、価値観の違いや関わる熱量の違いなどを感じ、個人のクオリティや意識の違いにも触れ、経験や勉強や学びに繋がった。 と信じたい。 あるとき…定例会の中で、 この会はボランティアばかりで云々… という話しが出て… そこで自分の中で何かが変わってしまっていることを感じるようになった。。 立ち上げたときの想いから、 時が経ち、メンバーも若手ではなくなり、置かれている立場や個人的な身体的や健康面での変化、体力の衰え…など。  出来ない理由ややらない理由の方が多くなってきて、いつのまにかそれが正当性を帯び… マンネリ化を生み惰性の時間にすら感じられて。 そんな今のあり方。 今後のあり方。 当会の必要性をも疑わしく思うようになってきた。 はじめの想いを、 立場が変わろうが、 歳をとろうが、 身体的、健康面的に衰えを感じようが、 持ち続ける心さえ有れば、 それ相応にやっていけるのではないものか… いろんな言い訳は 「当初の青臭い想い」の欠如ではないだろうか? 一度リセットしてもいいのかなぁと… そんな青臭い想いを少しでも持っている希少な人がいるなら。 その人達で形を変えながら、 自分達の歳や立場と相談しながら、 やってもいいのかなぁと… 無理にこの会に縛られて、 嫌々やらされることをやるなんて必要ないのではないだろうか。 ほんのちっぽけな当会。 置かれている状況に感謝の気持ちを持ち、世のため人のためとボランティアにも取り組む、 そんなリスタートが望ましいと感じる、今日この頃でした。    (最近、なんでこのブログを携帯で見ると、改行されずにずらずらと全文続いてしまうんだろう?)