2011年8月30日火曜日
CJメンバー自己紹介 石のたかはし編
2011年8月22日月曜日
不動産市況なんぞ 小森 誠
お父さん達の短い夏休みも終わり、今日辺りからは車の数も増えてきてますね。
さぁー、次の大型連休「冬休み」までアクセル全開頑張りましょう!
で、表題の「不動産市況」です。はっきり言います今現在の市況は「あかーん!」ですわ。
特にここ7・8月は最悪。住宅ローンを扱っている銀行さんも閑古鳥らしいです。
震災以降も好調だった新築戸建にも暗雲が・・。
なんて暗い話ばかりもしていられないのでこのブログを読んで頂いた方だけに裏ワザのご紹介。合言葉は「完成物件を狙え!」です。分譲会社さんは物件を次々手がけて行かなくてはなりませんのでいつまでも完成物件に時間をかけてはいられないのです。
完成して1か月位売れないと「200万円・300万円値下げ!」となります。中には当初売出し価格より「500万円下がった」なんて物件もありますよ。
もうひとつ裏ワザ。合言葉は「決算月を狙え!」もうお分かりですね。決算月の完成物件には有り得ない価格が!但し、この超格安物件は非常に少ないですが。
住宅ローンを一生かけて支払っていく。誰も失敗したくないですよね。
不動産購入には情報が大事、ひいては信頼できる不動会社が大事ですね。
アメリカでは「医者・弁護士・不動産会社」と身近に相談出来るパートナーが必要と言われています。ご参考までに。
【夏の戯言】
・娘のミニバスケチーム(小学校)弱すぎる↓誰か救って!
・T土建社長に「なんでこんなボロボロの自転車に鍵なんてすんの。誰も盗らないよ。」
と言われた自転車がついに壊れる。あの社長の一言がトドメを刺した模様。
・台風9号のおかげで南の楽園に行けなかった(泣)CJ会旅行で行くぞ!
2011年8月20日土曜日
違うということ
「生きるための対話(名越康文氏)」から、「違和感を大事に」というコラムに強く同意した。
「わかりやすく」が求められることが多いが、そこは誤解されがちである。
「わかりやすい」が、実は自身の既存の価値観やパラダイムの単なる承認であることのいかに多いことだろうか。
「こころ」の機微を気にする人間は、「こころ」の機微を解さない人に対して、
微妙なこころもちに配慮して欲しいと、激しく願うものだが、
実はそれは欲であるという側面に気づくことも大切である。
繊細すぎるその感性。
でも、だからこそ、人の「こころ」に寄りそいたいと思えるのであり、それは長所である。
今の自分に問うてみたい。
本当は自分は何を求めているのですか?
実は、自分の持続する満足を求めているのであって、
その満足を正義や正論、そして真理とかいうような観念や、体裁の良い言葉で覆っているだけなのではないか?
そう自身と対峙しながら、今後は隣人との対話に臨んでみてみよう
神が人間を多種多様に分かったのは、相互に扶助させようとするためである。
Lucius Annaeus Seneca
A.I
難破船
【イギリス人】紳士は飛び込むものです!
【フランス人】海には飛び込んではいけません!
【イタリア人】美女が飛び込みました!
【ロシア人】ウオッカの瓶が流されました!
【ドイツ人】飛び込むのは規則となってます!
【中国人】美味しそうな魚が泳いでいます!
【北朝鮮人】今飛び込めば亡命できます!
【日本人】もうみんな飛び込みました!
国民性(民族性)が顕著で秀逸であるが、この風刺から自国と自身について何を読み取り、理解し、今後よりよく生きるための指針を設計できるだろうか?
国際化とは、TVで諸外国の番組が見れることでも、店頭に海外の製品が陳列されることでも、気軽に海外旅行に行けることでも、ネット社会が普及することでもない。
それはあくまでも手段であり、他国の様々な情報(経済・政治・法律・文化・宗教・民族・気候・風土・伝統等)や知識の蓄積が、必ずしもを理解していることに繋がるとも思わない。
では、そこに及ぶまでもなく、よりよく生きるための指針設計のために、まずは自国や自身について、我々はどれだけのことを理解(情報や知識ではなく)しているだろうか?
たかが100年前のニッポンでは、「斬捨御免」と庭先や道端で斬捨てられる光景があった。
この20年のニッポンのライフスタイルを職業から振り返ってみても、大企業への就職の時代があった。外資への転職があった。起業という選択肢があった。そして成長に蓋をされた現在、ノマドという選択をするという合理性があるといわれている。
※その根拠については、次の機会があれば詳しく!
グルーバリゼーションという名のもと、世界が身近に、世界は繋がっている、と言われても、なかなか腑に落ちないのではないか。
でも、自己の成立には他者と環境なくしては成しえない。些細なことが想像以上に(恐ろしいまでに)、自身と全体にリンクしているのは間違いないのだ。
これを、日々の生活において、どれだけ意識・自覚して行動しているであろうか?
人生はすべて「関係」に始まり「関係」に終わる。
部屋の片隅に坐って、自分自身について瞑想していても何もならないし、人間は、独りでは存在できないように創られている。
人間は、他者や事物や観念との関係においてのみ存在しうるのである。
誰も個人の権利と自由を守り、国家もそれを維持するためのものと考える。
日本国憲法でいうならば、それは憲法第十三条にあたる、
個人の尊重と幸福の追求の自由であり、これは公共の福祉に反しないかぎり「最大」に尊重されると記されている。
自分と同じように、他者もまた幸福を追求しながら生きている。
その関係性において、自身の権利と自由を守り幸福を追求するためには、並行して他者と環境を生かす術を見出さねばならない。
国際政治の舞台に例えるならば、
「戦争」ではなく「対話」による解決を考える時、まず正確に自分のポジション(位置)を理解していなければ、コミュニケーション戦略がたたない。それでは「対話」が前に進まず、結局「力」(武力・経済力)による解決にならざる得なくなる。
家庭や個人の社会活動、企業の経済活動。身近なところではCJ会の定例会議でも同様である。
では、自分のポジションを作り上げているファクターは何なのか?
「札束」を積むより「信用」を積め
これは、21世紀のテーマである。
経営においても、これからじわじわと起こる資本主義という巨大システムの進化において、特に重要なキーワードである「信用」の意味を再考せねばならない。
お金は所詮、人間が経済活動のために信用を数値化して、価値を仲介するために作り出した道具に過ぎない。しかも今や、その発行主体は各国の中央銀行に限らず、信用があれば、企業そして個人も「お金」を発行できる。
そのためには、個人として信用され、それを客観視できる状態をつくることにより、新たな「信用」を創造・発行することができる。
「信用」を創造するために、「信用」を丁寧に考え、咀嚼し、行動に結びつけていくことこそが重要なのだ。
そのために、ここであらためて「己を知る」作業が求められるのではないか…
これを単なる「精神論」や「説教ごと」そして「きれいごと」と感じてしまったら…それは本当に「ご愁傷様です」と言わざるをえない…
その19世紀型の思考回路のOSのバージョンアップを計らねばならない。
【最後に】大阪人に対して、難破船の船長は....
阪神が優勝しました!!
A.I
2011年8月15日月曜日
お墓参り
私の田舎は福島県の二本松なのですが、毎年恒例の家族全員でのお墓参りを今年は12日の朝6時に出発して行ってまいりました!
そんなに渋滞はないだろうと思っていましたが、何と8時間もかかってしまい大誤算・・・
実家は農家を営んでおりますが、今回の原発の風評被害でみんな元気がなく、今後を不安に思っており、何とも言えない気持でしたが、久しぶりに会えた従兄なども含め楽しい時間を過ごしてきました。
渋滞のお陰で、あまり長くは居られませんでしたが、お墓に手を合わせる事が出来て何かまた元気を沢山もらう事が出来ました!
その足で、今度は4時間かけて軽井沢に行き、一泊して戻ってきたのですが、何と帰りの横川パーキングで、私の前を老人会の方が通り過ぎまして、よくよく見るとCJ会の長老。I先輩じゃ~ありませんか!?
そのままやり過ごそうとも思ったのですが、一応声をかけたら案の定、くだらない話に長々と付き合わされまして、せっかくの良い気分が台無しになりました・・・
翌日からは毎日リハビリです・・・
以上、アカンかった話でした。
Iさん!呪いだけは掛けないでくださいね・・・
しげる
2011年8月12日金曜日
noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)
エリートとは自他共に認め、この国を左右する力量が十分に備わった人達だと信頼している。しかし、その才能を私利私欲の為に使っている日本のエリート達を見ていると悲しくなってくる。
欧米のエリート達は、エリート意識が伝統的に受け継がれている。
「ノブレス・オブリージュ」とは一言で言えば「エリートとしてのプライド」とでも言えばいいのだが、日本においては語弊が多く、もう少し説明を加えるのであれば、高い地位に対してふさわしい責任を持つというプライドである。
身分が高いことに対して特権が与えられるが、その代わりにそれ相応の義務を果たしていただくという考え方である。
極端な例ではあるが、戦争になると祖国の為に先頭に立って最前線に立って戦うため、死傷率が一番高いのはこのエリート層だというような事がある。
どうも日本のエリートを含め、高い地位についた人々の中にお金を第一と考える拝金的な割合が多い。
今我が国に戦争が起こっても、日本の「エリート」の人々がお国の為に最前線で戦う姿は想像できない。
時代は常にエリートを作り出そうとする
明治以降であれば軍人、戦後であれば学歴をベースとした官僚やサラリーマン。
でも、絶えずその時代が成熟し、変化を余儀なく迫られるのは、そのエリート達が時代のスピードについていけないからではないか。
エリートは頭が良く一番安定したポジションにいて守られているために、危機意識が極めて薄い。
様々な分析・戦略立案能力や論述に長けていても、なかなか現実に反映させられない。
実行に移そうとしても、現実と現場の気持ちが分からないから人がついてこない。
時代が大きく変わる時、エリートがそこにいたためしがない。
戦後の焼け野原の中で、トヨタ・ホンダ・ソニー・松下の創業者達は必死になって働き、仲間を大切にした。
日本の強さの一つは「ものつくり」にあるといわれて久しい。
そして、戦後の安定は中小企業の底力があってのこと。一昔前ならベンチャー企業。
官僚もメディアも金融も、彼らの土台があってのこと。
しかも上記の人々はリスクや泥をかぶる事を嫌う。
それぞれの役割があって必要ではあろうが、できれば天下を掴む人間は、
一個の気持ちと物事の本質が理解でき、実行に移せる勇気と信頼を持ってもらいたいものだ。
論じに勝てる技術を持ったエリートよりも、個人として尊敬されるような人間が国際舞台の交渉に立ってもらいたいものだ。
本田総一郎氏や盛田氏は「人の気持ちが分かる」といった側面以上に、したたかさがあったと思う。
人の気持ちが分かるばかりでは、いや分かるからこそ決断や先見性が鈍ることが多くある。
経営者こそそういうことがいえると思う。
ただ、あえていうなら、目的は動機が規定する。
動機の本質が何であるかであり、そこに使命とも関係してくる。くだらない動機で本気なっている人間が沢山いる。一番の社会悪とは、えてしてそういうものだ。
エリートとは
本来エリートとは使命感を持ったリーダーのことであり、欧米におけるエリートのもともとの意味であると思う。
欧米のエリート思想の背景には、貴族社会がつくりだした「ノブレス・オブリージュ」が原形にある。食べることに困らない貴族たちがそれ以上の価値観を求めて、人間の美意識がどこまで高めていけるかという世界。(武士道もこれに近い)
一方で、一番貧困な人々と共に生きることで、そこに神を見出し、不条理な現実と自分とを一元化していくことで極めていく世界がある。 これがガンジーやマザー・テレサの世界。
いずれの違いはあるにせよ、そこには確かに「使命」が存在する。
その「使命」を持った人間をエリートと定義するなら大賛成だ。
吉田松陰は先生というよりも現役のテロリストだった。
黒船が来ればそこに乗り込むし、現に牢屋に入れられて処刑されている。
松下村塾は、仕組みではなくて、松蔭の生き様が自然に人を集めさせたのだと思う。
また、幕末の名士・竜馬は、彼のキャラクターではなく、彼が海や時代の向こうに何を見ていたか...
坂本竜馬というフィルターを通じて見る世界観・宇宙観が重要であり、そこを捉えずしてあの時代の意思・本義・真髄を理解することはできず、また自らの「使命」も自覚することもできないであろう。
21世紀の維新は、意識の解像度を上げること=脳のOSのバージョンアップである。
使命は、教えたり教わったりするものではなく、背中で見せるもので、そこに集まる集団は、その使命を共に果たすために集まるのではないだろうか。
A.I
