2011年8月6日土曜日

目撃者の眼

1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。

この写真は、原爆が落とされてまもなくの19459月、廃墟の長崎で写されたものだ。
以下は、彼がこの写真を撮ったときの回想インタビューからの引用。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10
歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました



「昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹著)」を再読。
開戦前のシミュレーションで、日本の若きエリートが対米戦必敗の結論を出したが、日本は開戦する。
必敗が分かっていながら合理的判断より空気を読む事を好む日本人の特性...

ダメだとわかっていても、全員で敗北に向かって突っ走る...
上の者は責任の追求を恐れて言い出せない。下の者へは精神論で頑張らせる。根本的な問題には目を向けない。
あの時代の人間の必死さに感服すると同時に、盲目(盲昧)に陥る怖さを知る...


「日本の意思決定に欠けているのは、今も昔も、ディテールの積み重ね。
ディテールにこそ、神は宿る。
「この作品で、ディテールを積み重ねれば真実にたどり着くという希望を語りたかったのです。」

著者のくだりが印象的。

自らが受けた教育の歴史認識の違い、自らが創りだしている思考や観念の深さと特性(加速度の速さ・硬直度の強さ)と、それが物事の判断基準と行動規範・様式となっていることをあらためて認識する。
しかし、それが全てでも正解でもなく、その観念は単なる一個のものでしかない。そして古いものでもある。
道は無数にあり、そこには矛盾も不条理も常にある。
我々は、常に混乱や恐怖、みじめさを取り除こうと必死であり、それ自体を「理解」しようとはしない。
「理解」とは、
険しくカオスであるが、崇高である。
重要なのは、自分自身そして全てを「理解」することである。

くしくも66年前の今日、広島に原爆が投下された。
正しい歴史認識の大切さを改めて痛感する。

A.I