2013年7月30日火曜日

教わる・・・ハゲタカ

こんばんみ! 気の利いたお店を発見しご機嫌なハゲタカです。


月1で長野に出張すること早20年…今回は息子を連れての出張です。

蕎麦にうるさい店の看板に「うどん」の文字が(T-T)
行きつけの店がつぶれ、跡地には「冬のソ〇タ」の文字…(どんな店やねん!)

変わりゆく長野で息子が見つけたお店がうまい!うまい! さすが慧眼


本日はオレンジジュースで馬刺しを食べるという荒業をやってのけた息子の話です。


高所恐怖症であり閉所恐怖症であるハゲタカは高速などもってのほか!
息子とともに4時間かけてやっと軽井沢にはいりました。
小諸で昼飯、おいしい蕎麦でした

ここで息子と別行動、彼は城へ旅立っていきました…


息子曰く「夏は山城はNG!」  (山城とは山にある城のことらしいです。)
さらに曰く「ヒルに血を吸われ、ハチに刺され、マダニに刺され……」
恐怖に怯え、ひきつった顔で説明します。

いったい彼の身に何があったのでしょうか?

息子は小諸城、つづいて上田城とめぐります。
その間、ハゲタカは仕事…

長野市内のビジネスホテルで合流。


そこで気の利いた店に出会ったわけです。
息子の話を肴に数杯

そこでの会話
ハゲタカ「明日の予定は?」
息子「始発の電車で中津川に行く」
ハゲタカ「?」
息子「岐阜」
ハゲタカ「どこ?」
息子「愛知の上」
ハゲタカ「愛知?…愛知ってどこ?」
息子「……ふぅ」


もっと勉強しとけばよかった…   


ではまた次回

2013年7月22日月曜日

ハインリッヒの法則                 KOMORI


夏休み入りましたね!夏といえば海!私の今夏の目標はな・なんと「波乗り(サーフィン)」です。家族の反対を押し切り、頑張ってみようと思います。このご報告はまた後日に。

 

さて今回はシビアなお話です。

先日の事。社員が営業車で自転車に乗っていた小学生と接触しそうになったと報告が有りました。幸い小学生にケガはなく営業車に軽くキズが付いた位ですみましたが有ってはならない事だと思います。

不動産業という職業柄、車に乗る時間は一般の方よりはるかに多いと思います。という事は交通事故を起こす可能性が高い訳です。常日頃から安全運転を声高にして促しているのですが日々の仕事に流されどうも緊張感が薄れていくみたいです。そんな時私は烈火のごとく怒ります。私が怒ることで薄れていった緊張感を取り戻してもらいたいからです。

 

事故は起こってからでは遅い。誰でも分かっている事ですがちょっとした気の緩みが怖いのです。この気の緩みを取り去るには私が頑張らなければいけない。私が全力で諭すしか道はないのだと思います。小さな事象も見逃さずに・・

 

        自分の備忘録としても「ハインリッヒの法則」


 

 

「一件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハット(事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事例)があるとされる。重大災害の防止のためには、事故や災害の発生が予測されたヒヤリ・ハットの段階で対処していくことが必要である」

2013年7月15日月曜日

購買意欲               S.UENO

ある研究所の調査によると、アベノミクス効果で、今年の夏のボーナス商戦は昨冬に比べ大きく改善する形となるそうです。

ところで、昔と比べ消費者、特に若者の購買意欲が下がったと言われて久しいですが、これは果たして景気の問題だけなのかと、最近少し考えるようになりました。

確かに景気が悪いせいで給料が上がらなかったり、将来に不安があったりで、家や車など大きな買物がしにくいということはあるでしょう。

しかし、そんな中でもスマートフォンだったり、ソーシャルゲームだったり、AKB48だったり、桁違いに景気のいい話も同じ日本の中で起きているのも事実です。

総量としての家計内住宅投資額が減っていた一方で、一部の超高級マンションは発売と同時に売り切れたりもしていました。

そんなことも考えてみると、実はモノが売れないのは景気が悪いせいだけではなく、売る側の我々商売人が、お客様が本当に欲しいモノを提供できていないだけだったのではないかとも思えてくるのです。

もちろん景気が背景にあって、消費者の欲しいものが変化していく(例えば、安い使い捨てから、高くても長く使えるものを買うとか)といったことはあるでしょう。

それでも、お客様のニーズの変化を捉え、柔軟に対応しマーケットに合った商品を提供し続けてこそ、商売人といえるのではないでしょうか。

そして、その為には今世間で繰り返し言われている「規制緩和」が大きなキーなのだと思います。

今度の選挙では、その辺の視点も持ちつつ、素晴らしい政治家を応援したいと思う今日この頃であります。

CJ会の新センター

2013年7月8日月曜日

自分を決定づけているもの            HIROSE

「自分を決定づけているもの」などと大それた表題をつけてしまいましたが、先日、某氏との会話から、自分で気づいたことを書いてみます。

 まず、人の身体的なことや性格や、どんな病気になるかとか、才能などは遺伝子の設計図によるところがそのほとんどだと噂されています、というか科学的に裏付けされているそうです。

 そこで、私はこう考えました「僕の中にあるどうしても修復不可能な部分は、僕の両親よりももっと何代も遡った、何百年も前のどこそこ村のだれ兵衛の遺伝子の一個が入り込んでいるのではないか?」そこに考えが至ったのです。

 そもそも、世代を遡れば、例えば10代遡れば、自分の人生には約2000人の人がかかわっていて、その間いろいろな遺伝子が交差して、前の世代では眠っていた遺伝子が、自分の番に来たときに開花した(季節などの環境によって)ということだってあったのかもしれない・・・・んー というかそう考えたほうが何か楽しくなってきませんか?
それに、そう考えることによって自分は一人じゃないって考えもできるし、ご先祖様に恥じないように生きなくては・・・・そんな立派な考え方もうかんでくるやもしれません。

 CJ会のみなさんの、何代も前のご先祖もどこかでつながっていた(一緒に酒でも飲んでいた)のかもしれませんね。

 昔、一年かけてやっていたものが、一日でできてしまう今日、この流れについて行くのは大変ですが、悠久のときに思いを馳せてみた7月8日の夜でした。

 

 

2013年7月1日月曜日

6月のボランティア           SHUJI

6月25日に出発した今回のボランティア、昨日の深夜に戻りました。
平日は福島県南相馬市ボランティア活動センターで!
金曜日の作業を終えて、そのまま移動して宮城県七ヶ浜町ボランティアセンターで週末に活動して来ました。

今回、南相馬市に向かっている途中に通った飯舘村の田畑の荒れようには胸が痛くなりました。農家さんが代々大切にしてこられた大事な土。 全く手をつけようとしない完全に放棄された田畑の土。
この土のおかげで脈々と受け継がれてきた命や歴史… 荒れ果てた現状を見て、苦しくなりました。
放射能という目に見えない恐怖から、一刻も早く立ち上がれる日が来ることを祈らずにはいられません。





南相馬に入り、いつもの常宿へ
風呂、トイレは部屋に無し。
8畳ひと間にテレビと机と布団だけ、でも寝るだけの生活には不自由無し、大きな温泉も付いてて3,700円位は助かります。

ボランティア活動センターと常宿との行き帰りの途中、毎日立ち寄る場所があります。
そこは小さな馬小屋です、ここにいる白馬は、自分が初めて南相馬に入った日、人の気配もない峠を車で抜けたらいきなり目に飛び込んできた偶然の光景だった、この白馬が凛と歩いていて…しばらく見とれてしまったほどインパクトのある立ち姿でした。
相馬野馬追に出るこの白馬
馬主に聞くと、この白馬は海岸30mのところで津波にのまれ、自力で200m以上もあの津波の中を泳いで助かった、たった二頭のうちの一頭…もう一頭はその後亡くなったそうです。


この土地に来ると、必ずここに立ち寄ります。ただボーッと眺めては元気をもらったり、語りかけたりして帰る感じです。




今回の南相馬市での活動内容は
大きな農家さんの家での作業。家の中の家具の廃棄と分別、倉庫や蔵の中のものの廃棄…
当然、中には新品のものや年代物の価値のありそうなもの、マニアが喜ぶような古いカメラ等々、すごいものがたくさんありました。中には怖い農薬や得体の知れない釜の中の腐敗した食物も…絶対に蓋を開けてはいけない食料等もたくさんありました。異臭を放ち、作業も途中中断あり。
家の中は動物などに荒らされた感じになっていました。
私は主にチェーンソーで裏山の急斜面の竹林に安全ベルトをつけて入り、竹切りです。
母屋の上に倒れ掛かっている竹の伐採、足場が悪く、安全帯を着けての作業は緊張もします。


住人の立ち会いの元での作業ですが、ここでも以前感じたような気持ちになりました。
家の人が…「家の中のものは、どんどん捨てて!庭の木は全部切っちゃって…」
思い出も歴史もいらない…というメッセージなのか、自暴自棄という心持ちなのか、何かに腹をたてているのか… 明日への前向きな出発の意思表示ならば良いのだが…と切に願います。
多くは聞けず、語れず、ただ黙々と指示された作業に没頭し、廃棄物にも労りの気持ちを込めて、家の人の前だけでも丁寧に扱う事くらいしか私達には出来ない。
ただ黙々と作業をこなし、大粒の汗が私達からのエールと受け取っていただけたら幸いです…



それらの作業が何日間か続き、ひとつの現場が終わります。その時の住人の表情は、みんな一様に晴々として見えます。
この土地に戻るのか、新しく建てかえるのか、これからたくさんの悩み事がある中での、ちょっとした晴れ間の時間、こちらも嬉しくなれる瞬間です、最後に「ありがとうございました」とお互いが交わす言葉。幸せな明日を心から望みます!



南相馬市から、七ヶ浜町までは近そうに思えて道路事情等もあり、結構かかります。夕方の移動のため二時間以上かかってしまいました。

七ヶ浜町のボランティアセンターでの活動は、あの松島を見渡せる多聞山という山の草刈り作業です。
眺めは素晴らしく、ここでの作業は気持ちも明るくしてくれます。
二日間まるまる草刈り部隊!

おかげで展望スポットを綺麗に刈り込むことが出来ました。
共におお汗をかいたボランティアのみなさん、お疲れさまでした!



今回、七ヶ浜町に入ると嬉しい光景を目にすることが出来ました。
ず~っと作業の現場として入っていた場所の広大な田んぼに、なんと水がはられて田植えがされていたのです!


この広大な田んぼには、津波によって海岸沿いにあったペンションや家屋、漁具や車や重機等々さまざまな瓦礫が散乱していたところです。
これらをまず、重機が入り撤去、そのあとボランティアの手拾い、また重機が入り掘り起こして大きな瓦礫の撤去、またボランティアが入って手拾いでの瓦礫撤去、それを繰り返し、最後は土をふるいにかけて、小さなガラス片や小石、プラスチックの欠片等を撤去、それから徐塩作業に入って、用水路から水を引き込む水道管等をチェックして、やっと水はり。それからの田植え!
そんなたくさんの手をかけて、やっと田んぼに緑が戻りました。多くのボランティアさんが涙を流していたと聞きました。

いままで、何度か… この作業は誰かの役にたつのかなぁ~とか、地味な作業だなぁ~とか思ったことも正直ありました。しかし、この緑を目にして…  福島県の飯舘村や南相馬や浪江を思い出すと… これらがいかに大切でいかに大きな喜びのある作業だったのかを思い知らされました。
でもまだ田植えされたのは、七ヶ浜町の田んぼの三分の一だと聞きました。
大切な土!
今回もたくさん良い勉強になりました。


当たり前の毎日にいただく食物。
自分の目の前に運ばれて来るまで、いかにたくさんの人の労力と思いがあり、食卓に並ぶのか…今一度ちゃんと考えたいですね。感謝を忘れず、ありがたくいただくことにします。


震災翌月からの毎月一度のボランティア
毎回行かせてもらえる、スタッフや家族に改めて感謝するとともに後方支援をしていただいているお客様にも重ねて御礼申し上げます!



追伸

この夏も、『こども未来へのかけはしIN所沢』様との共催(予定)で、福島県の養護施設のこどもたちを所沢に招待して、楽しい夏休みを過ごしてもらう予定です!
また所沢の皆さま方や西武ライオンズの方々にもお願いに行かせていただくこともあるかと思いますが…どうぞよろしくお願いいたします!

できることを
できるだけ!         合掌。