2011年12月26日月曜日

今年を振り返って

早いもので今年もあと五日ですか・・。皆さん、やり残した事はないですか?
私には有り過ぎて、一年が倍になって貰いたいくらいです。

さて2011年CJ会の活動は
・毎月の定例会(1~12月)
・おやじフットサル大会(6月)
・被災地支援in陸前高田(10・11月)
・ロードサポート(年3回)

と項目は少ないですが内容は近年になく充実していたと思います。
この中でもやはり被災地支援が一番感慨深いですね。メンバーのみならず多数の方々からご支援を


賜り「絆」を体感できた事はこれからの人生の糧・心の糧になるでしょう。
来年はさらに努力と研鑽を重ねCJ会と共に自分自身も発展していければと思います。





また、毎月の定例会ですがなんと109回を数えました。すばらしい!
「継続は力なり!」そうなんです、CJ会は来年☆10周年☆

10年ですよ10年!そりゃみんなオヤジにはなるわ・糖尿にもなるわ・毛髪もさびしくなるわ!
立ち上げ当初は「所沢の若手企業家集団 CJ会」なんてコピーありましたね・・懐かしいなぁ・・「若手」っ


て何歳まで?まぁ常識的には40代までだろう!?と言うことは
おーい!誰か次のコピー至急考えて!大至急!!


横道にそれましたが来年は「CJ会・おかげさまで10周年!」イベント開催します!
私はノープランですが我らがキャプテンそう「キャプテン・ハゲタカ」が持ってます!

↓     ↓     ↓      ↓     ↓      ↓


(ハゲタカ:魔除けバージョン)




はぁー、2011年最後のオチもこの男か・・

来年こそは良い年にするぞ!「2012年前進・日本!」
皆さんよいお年を!

                                    makoto

2011年12月19日月曜日

試練

我が家は、高校三年生、高校二年生、
中学一年生の三人の男の子供を持つ家庭である。
月並みな言い訳だが、私は会社を経営している為、子供の出産の時も、私が酒を飲んでいる最中に、隣のご主人に立ち会って頂いたり子供の面倒は妻に任せっきりにしていた、典型的なヤクザな父親であった。
 
 今年は未曾有の震災もあり我々経営者には試練の一年であり、色々な事を深く考えさせられた一年でもあった。今も最後の追い込みで、来年につながるべく、様々な分野の再構築に取り組んでいる所である。

 そんな中、先日長男が胸が苦しいと言うので、近所の整形外科に一人で行かせたところ、すぐ両親を呼ぶ様に言われ、家内に行かせた所、すぐに紹介状を書くから国立病院に行く様にとの事。すぐに私も車で病院に向かい、家内と長男を乗せ国立病院に向かった。
 診察をしてもらうと、そのまま入院という事になり、医師から説明があった。
 肺気きょう?肺に穴があいて、潰れてしまい機能しなくなる病気の様だ。この病気は背が高く、胸板が薄い若い男の子に多い病気だそうで、遺伝などではなく、体質の問題だと言う。取り敢えず、肺に管を通して空気を抜いて様子をみて、手術をするか決める事になったが、数日後レントゲンを取ると、やはり手術が必要という事になった。入院は二週間位。すぐに手術の予定を決め、先生にお願いした。今年は長男の大学受験であり、正に志望校の合格に向けて勉強を頑張っている所であったが、命には変えられない、長男と覚悟を決めて手術に望んだ。学校の先生を始め、友達が心配して、お見舞いに来てくれた。感謝である。

 お陰様で全身麻酔の上、手術は成功した。翌日先生から呼ばれ説明を受けた。今度は反対の肺が悪くなり、手術が必要だと言う。しかし、若いとはいえ短期間に全身麻酔をして手術をすると言うのはリスクが高いとも言う。その夜、今までほとんど反抗期っていうものが無かった長男が、涙を流し暴れた。受験の不安と、手術の痛みの不安、大袈裟だが、命の不安が頭を駆け巡った様だ。まさに自分の人生は終わりだとも考えた様である。私と家内は黙ってそばにいたが、しばらくして、覚悟を決めた様に、いつかやらなくてはならないなら、すぐやる!といいだした。涙が込み上げてきた。長男が自分の腹に落とせた瞬間だった。翌日落ち着きを取り戻した長男を含め先生と相談して、受験が終わってから、手術を行う事で説得して、一時退院をして、回復を待っている。

 会でも掲げている人生の勉強をこの時期に経験する事になった長男であるが、これから、もっと沢山の試練が待っている我が人生!今年は家族全員で、ゆっくり、そしてしっかりと、語り合いまさに絆を深め、前向きに豊かな心で人生を歩める様に、家族全員で年を越えようと思っている。今回の長男の試練から、私もしっかりと学びたいと思う。我が家にこの素晴らしい試練を与えてくれた、神様にただ感謝したい。

                                     植野

2011年12月12日月曜日

今更ですが 写真がデジタル化されて思うこと  広瀬


写真がデジタル化されてもう何年になりますかねー
たった今 昔のMOを倉庫から引っ張り出してみたら、99年11月・・・なんてなっていた
ざっと12年くらいか?干支が一周した感じでしょうか、、、。

写真がデジタル化されて、現場での撮影時間は短縮されました。
そのかわりに撮影後のあと処理時間が延びましたね、、、、。

本日、私がなぜ夜の10時30分まで仕事をしていたかと言いますと、その、後処理をしていたのですね、ここからは写真スタジオひろせの自慢話になりますが、わが店では幼稚園関連の写真のお仕事もさせていただいているのですが、集合写真など大勢をいっぺんに撮るとき困るのが、園児 特におとこ、、、、絶対全員こっち向いてないですから。そりゃー騒がしいお子さんの前で笛吹いたり、大きい声で叫んでも誰かしらあっち向いてるんですなこれが、しかし、デジタル写真は後加工に優れていまして、昔だとフィルム代がかさむから3〜4枚くらいしか撮らなかったのを人数が多いときなんかは10枚くらい撮っちゃう。そして、あとから目をつむってしまったりあっち向いたりしてるお子様のお顔を、ちゃんと目が開いてる写真を違う画像から持ってきてすげ替えちゃうわけです。そうすると全員がちゃーんと目をあいてこっち向いてる写真に変わっちゃうわけなんですよ、50人くらいの3才児が一斉にこっちを見てる写真てちょっと圧巻ですよ。
昔の集合写真てクラスに一人は目をつむっている人いたでしょ。そう、昔はそんな写真でも文句も言わず買っていたわけなんですね、、、ある意味いい時代だった気もしますけどね。でも ぼくは理由はたくさんありますが、写真がデジタル化されて良かったと思ってます。












震災から早くも9ヶ月がたちましたが、被災地ではぼくの想像を超えるような苦労をされている方がたくさんいることのだろうと思います。そんな人のためやこれからの所沢、日本の為にもCJ会で何か出来ることを模索してゆければなって思っています。会のみなさま、これからもともに手をたずさえて一緒に汗を流していきましょう!

2011年12月3日土曜日

ついに完成! 襷小屋!      shuji

CLUB JEST 東日本復興支援プロジェクト Vol、3
「陸前高田・広田湾の獺沢(うそざわ)漁港に牡蠣養殖用の作業場を建てよう!」という目標を掲げ
10月25日から動き始めてきましたが、ついに11月29日に完成し、
建物の鍵を広田湾漁協青壮年部 小友支部会長の山田さんに手渡すことが出来ました。



ご賛同いただいたみなさまの心をつないで完成したこのプレハブの建物を
私たちは『襷(たすき)小屋』と名付けました。




当日はCJ会のメンバーも合流、陸前高田入りして作業に没頭しました。
このプロジェクトは、私たちの趣旨にご賛同いただけた方々のご寄付と温かいメッセージ無くしては出来ませんでした。

「ほんとうにご支援ありがとうございました。心より感謝いたします。」


当初の予定では、漁港の入り口のすぐのところに建てる予定でしたが、いまだ地盤沈下などの問題があり、少し小高い丘のところに建てました。
これからここで地元のおばちゃんたちが牡蠣やわかめの作業などされるようです。
たくさんの笑い声が響く小屋になってほしいですね!


みなさまからの心温まるメッセージをそのままシールに転写して、建物の外側と内側に2枚ずつ貼らせていただきました。


漁港の方々も、その作業を笑顔で見守ってくれて「いや~これは目立ってまた取材が来てしまうな~」なんて言われていました。
一枚一枚に目を通し、心を熱くしていただくのは、私たちが引き上げた後なんでしょうね!
なんせ 作業が上手ではないメンバーが多く 手は進まずに口とにぎやかさだけが取り柄のチームでしたから…(笑)





ただ そんなメンバーとのやり取りが いろんなものを背負っている方々には憩いの一時になっていたのではないでしょうか


メッセージを書いていただいたみなさまも、ぜひ陸前高田・広田湾の方に行かれた際には この漁港に立ち寄り ご自分のメッセージと善意のお気持ちが形になった『襷小屋』をご覧くださいね。
その時は漁港の人に「獺沢漁港の高田純二さんいますか?」って聞いてみてください。
会長の山田さんが笑顔でお迎えしてくれるはずですから!


シール貼りの作業を終えたとき
漁港のマコトさんが ひっつみ汁(すいとん)を持ってきてくれて
襷小屋の前で即席の鍋昼食になりました。
~いや~美味しかった!!!こういうひと時が嬉しいんだよな~
















午後は 牡蠣の養殖用のイカダ作りのお手伝いをしました。
私たちCJ会のメンバーの肉体労働作業です…(作業のクオリティに難ありだった…かも)
故に当然 何度も何度もみんなでナットの閉め忘れがないかどうか…の確認をしました!
作業中「面一(つらいち)」という言葉の意味がわからず、てこずっている人がいて・・・笑いの絶えない作業になりました。














今回のプロジェクトを通してたくさんの人たちから温かいものをお預かりしてお届けすることができました。
みなさまのご協力があって、CJ会メンバーの協力があって・・・本当に感謝感謝です。

まだまだ、これからも復興のため少しでもお役にたてるように動きますので、引き続きよろしくお願いいたしますね!
この『襷小屋』が少しでも震災により被災した方々への明日へのエールになってくれたらと願って止みません。
まだ見える所の復興は遠い…しかし着実に人々の心の中には復興への灯りが点灯している!
そう感じた一日になりました。

小さい事でも『出来ることを、出来るだけ!』これからも復興支援!がんばりましょう。



*今回メインで使わせていただいたロゴ 
 『襷小屋』と『がんばれ獺沢』は所沢市の読売新聞所沢センター代表 山畑儀雄様にお願いし被災地のみなさまへエールを送るような温かくて力強いロゴを描いていただきました。
山畑代表 ありがとうございました!


追伸
今回も先乗りして陸前高田ボランティアセンターに長男と二人で入り他所にて作業をしました。田んぼの瓦礫撤去など、まだまだ人手が必要です。現地へのボランティアは毎月継続で行っておりますので参加希望の方はご一報ください。
ちなみに 滞在中 また夜中に地震で飛び起きました…終わらないですね…