2018年3月18日日曜日

あの日から7年      SHUJI


 

3.11…あの日から7年が過ぎた

地震のあった日 まだ小学生だった末っ子を学校に引き取りに行ったとき

体育着だけの薄着の子も校庭に避難していたのを見て

寒かっただろうに…と思った

 

その日の夜

東北ではその薄着のまま一晩中小雪の降る中 屋外で身体を寄せ合いながら朝を迎えた子供達がいたことを後日知ることになる

さぞかし寒かっただろうに…心底思い悲しかった

そのことにより命を落としてしまった人も多数いた事実も…

 

諸々を知り、居ても立っても居られず

東北の地を目指し一人車を走らせた

南三陸から気仙沼への道中 悲惨な現状を目の当たりにした

凄い衝撃を受けた…涙が止まらなかった

あの衝撃は一生忘れられないだろう

 

その日から毎月のボランティア活動が始まり

6年目を迎えるまで月イチで東北に通った

10日以上現地入り出来た月も日帰り作業の月もあったが

いまではそれも不定期に変えた

自分の仕事とのバランスを取りながら、行ける月に行くというスタンスにした

 

いまでも思うことがある

寒い日に頭からバケツの水をかぶり靴を脱ぎ薄着で一晩屋外で過ごせるか…

実際にしたくもない体験をせざるを得ない人達もいたこと

忘れてしまってはいけないことのひとつ

自分自身戒めることのひとつ

 

いま毎日が当たり前に過ぎていく

そんな日常の中で不平不満を口にしたり愚痴ったりすることもある

でも あの日からしばらくは余震の恐怖や不安を抱え

家族や従業員や会社や…いろんなことを考えては

手を合わせて祈り、シンプルに暮らしていた記憶がある

 

だんだんにエゴが出て欲が出て

当たり前という日常に感謝が薄れて

生活そのものにコレステロールが溜まっていく

 

3,11という特別な日を迎えると

恥ずかしい気持ちが出てくる…ということは

また知らず知らずのうちに惰性で毎日を過ごしてしまっているということを

気づかされているのだろう

 

いまでも

出来ることを出来るだけ!という

ボランティア活動のスタンスは変わっていないが

平和に毎日が過ぎて温かいまま朝を迎えられるという当たり前への

感謝は出来ているのか?と…ここでまた自問自答が必要

 

今月はもう行けそうもないが

また来月からは東北へ行き

出来ることを出来るだけ!させてもらおう

まだまだやらなければいけないことがたくさんだから

 

当会の主催する 東北復興支援イベント

「おやじフットサル大会」も5月に開催決定

参加者の皆様方の温かいご支援の気持ちを今年も東北へ届けられる

関係各位、協力支援者の皆様方に感謝です

 

いまでも仮設住宅で生活している人

当時のことがトラウマとなり普通の生活が出来ない人

まだ家族とも会えていない人

もう会うことが出来ない陸前高田の漁師の山田さん

・・・・・

いろんなことがあった

 

忘れずに

出来ることを出来るだけ!

東北復興支援のお手伝いをしていこう

 

3,11 

被災された皆様ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。