2012年1月23日月曜日

文化力


国の文化力、組織(企業・団体)の文化力、コミュニティーの文化力、そして個人の文化力。

これを形成しているのは個々の文化力や在り方であり、それは国家においては「感覚資源」ともいえるのではないだろうか。

明治維新以降、西洋化に舵取りをし、傾倒してきた日本であるが、
その中でも、日本人の感受性=「繊細・緻密・丁寧・簡潔にモノをしつらえるセンスと能力」は、美意識でもあり、我々の誇りであると思う。

デザイナーの原研哉氏は、
「目を三角にして『新しさ』を求めてきた僕らのアタマが、少し平熱にもどって、まともに日常の周囲を見渡すゆとりができた」時代だと評価している。

また、この背景の一つとして短期的には3.11の影響もあり、
津波に流される家や車を見て、「物を所有することの空しさ」を感じた人が少なくあるまい。
そこからは、いらない物は買わない、つくらない、昔から使われている物を大事に使う、そういったシンプルな暮らし方を求める気分が広がったのではないだろうか。
そういう時代においてデザインは、不要な物を買いたいという欲望を駆り立てるためにではなく、
「社会の中で共有される論理的な側面」を打ち出すべきであり、
「いかに魅力的なものを生み出すかではなく、それらを魅力的に味わう暮らしをいかに再興できるか」が、今後の課題だと言っている。

これは、我々個人に置き換えるならば、
これまでの半ば盲目的に追い求めてきた、
豊かさや幸せの物差しは、何をどれだけ所有するか、どこに所属するか、どんな肩書か、いくらあるかetcといったマテリアルな人生指標・生活設計から、
「どう楽しみたいか」「どう生きたいか」そして、「どう在りたいか」という、哲学の伴った真のライフデザインへの転換であり、それが社会のグランドデザインとなり、国の文化力=魅力に発展するのだと思う。

これまで、国家(個人)は国際競争(幸福の追求)の下、経済力・軍事力(カネや物)によって「他を搾取する」ことで優越やレバレッジを効かせ発展してきた。

確かに貨幣経済システムが現存する世界において、また、物理的に身体を持つ人間は、カネと物とは切って離せないものではある。
しかし他方で、数年前に話題になり昨年日本の大手メディアで取りざたされた、ブータンの「国民幸福度」を、貴国の全体像や詳細まで知りもせず、唐突に自国の幸福度を数値で置き換えるのは、乱暴、幼稚と言わざるをえない。(そもそもこれはマッキンゼーがプロデュースしたもの)

あなたが幸せと感じる感覚や他者との信頼関係を数値に置き換えることができますか???

もう国も、経済力と軍事力で優越をつける時代ではないことは周知であり、今やアジアは「文化大競合」の時代で、すでに中国は2007年に「文化強国」宣言をしている。

どんな超大国(金持ちの人間)でも、文化力が強くなければ国際社会(他者・社会)から評価されない時代になっている。

震災はあまりにも大きな代償を負ったが、未来の在り方を見直す大きな契機になったことは事実である。


あなたは、自分の魅力を十分いかしているといえるでしょうか?
あなたの中に魅力的な文化を創造すれば、知名度や社会での評価は上がり、結果経済効果も期待できるかもしれません。
国際社会においては、国家の魅力的な文化力が国家の強みになることを、各国はよく認識しています。何よりもあなた自身が、文化創造の魅力に魅せられることでしょう。

A.I