自分は写真を通じて何を表現したいか?が毎月の課題で、その課題を写真5点と文章で提出し、その提出したものに関して、海外で活躍している写真家の先生がアドバイスをしてくれるのが毎月の恒例行事、そしてその先には、海外のギャラリーで活躍出来る写真家を育てる(ファインアートの世界で通用する)のが最終目的の会であります。
そしてその会には文章(アーティストステートメント)を添削してくれるライターの方がいて、(海外向けの翻訳家の方もいます)その方は自分のつたない文章をたちどころに立派な文章へと昇華させくれます。
その相乗効果(写真とあいまった時の)は計り知れなく、改めて文章で表現することの大切さ、論理的な構築、理論の裏付けが写真を立派なものに見立ててくれることに気づいたのです。これは「人は見た目が9割」にとても通づる事だと痛感させられた出来事でもあります。なには、ともあれ、添削後の文章(写真も)を掲載しますので、どうかご一読ください。
BALANCE(バランス) 広瀬欣也
船から海を見るとき、うねりとその深い碧色に私は恐怖を感じる。
決して舐めてかかってはいけない自然の恐ろしさだ。
大地から見るのではなく、私自身が海に身をまかせているためだろう。
海から見ると、岸辺に立つ東京のビル群もまた、
船上にいる私と同様に、海に浮かんでいるように見える。
おそろしいほど揺らぐ海面に、なんとかバランスを保ちながら立ち続ける楼閣の群れ。
これらのビルの中には多くの人々がいて、電線や水道管、ガス管も複雑に張り巡らされている。
それぞれが絡み合いながら、
きちんと機能を果たして街は動いている。
しかし、複雑に絡み合う1つひとつのもの、そして、そこにいる誰も、危うい状況のなかに絶妙なバランスでかろうじて立っていることを忘れて生きている。
船から東京を見ていると、つねに揺れて見えるビルや街こそが、今日の東京の姿なのだと感じられる。
砂上の楼閣、東京。
しかし、この街には多くの人やモノ、自然、それぞれが懸命に生きている。
この街がバランスを崩さずに、いつまでも立ち続けていることを私は祈ってやまない。
危うい東京の姿を表現するのは、なによりもこの街に憧れ、いつまでも輝いていて生き続けてほしいからである。
どうですか?なんとなくそれらしく見えて来ましたか?
きっと目の錯覚もしれませんが先の添削後の文章が
自分にはとてもチカラになりました。
今日の結論
「勘違いしている自分がいつ間にかその
ステージに立てるかもしれない」
そう信じて、大いなる勘違いしながら生きてゆこう! おれ!