2011年9月12日月曜日

「ごっこ」は続く

今の日本人の少なからずがその度合いこそ違え、

「他者を拒否」し、現実と自らの「乖離」を「敵を抹殺」することによって、

絶対者の位置にとどまろうとする「誇張」された人生を、滑稽なまでに「遊戯(ごっこ)」し続けてきた。

大中小とそれぞれのちっぽけな世界の中に、ごっこし続けてきて、未だに続けている。

政治家はどこに所属するか否かは関係なく「ごっこ」。

つまり、戦後を否定する者たちが実は戦後の「ごっこ」の最大の受益者であり、

行使者であるという皮肉が、これからも続くのか否かが、

歴史と時代を俯瞰しながら留意していく一大事なのである。

「ごっこ」はもう終わりであることは誰もが察している。

それを様々な場面で指摘する声も多い。

しかし、それが実は「ごっこ」を演じ続けるための「ごっこ」なのではないか...

「ごっこ」は目的を必要としない。

「ごっこ」が手段であり目的である。

終わりがくるまで、その終わりとは、一気に白けるその瞬間まで、それは熱く無心に稼働する。

私の実家は小学校と隣接しており、裏には神社が
あった。

放課後は決まって近所の仲間や上下級生たちと野球や探検に夕暮れまで興じていた。

誰々が大将の役で、誰それが敵だとか、野球の選手は名前の取り合いから始まって、今でも同じである。

ボールが隣家の垣根を超えていまい、毎度その騒々しさが瞬時に止まってしまうことがある。

隣家にボールを取りに行く子どもは必死であるから、寸断された危うげな熱の線を繋げようとする。

なので、傍観している者は声をかける間などない。しかも声は冷や水であることは感覚で分かっているこらこそ、それは野暮である。

夕暮れになれば子供らは動揺し始める。

なぜならば、夕陽が沈めば「ごっこ」は終わりになることを知っているから。

誰かが「イチ抜けた」の発声をするのを怖がっている。

そしていよいよ心も友達を繋ぐ線も抑えが効かなくなる。

そして誰かが泣き、気不味い雰囲気を収拾するべく、より執着的にボールの扱いをし始める。

そこに母からの終わりの宣告がなされる...

そこでみんなは怯むのだが、リーダーは母親の声を無視するかのように、「ごっこ」を皆に強要する。

とうとう、みんなその平等から強制への変質によってシラけ幕切れとなる...

「ごっこ」がいつまでも続けば、それは幸福であることには間違いはない。

だが、それは不可能なこと...だと思いながら日本を考える。


家族ごっこ、仕事ごっこ、社長ごっこ、会議ごっこ、奉仕ごっこ....この仮想はまだまだ続く

A.I