2011年9月13日火曜日

仲秋に想ふ

先日、子どもの同級生の両親が謝りに来た。

謝りに伺うというのは、なかなかないことだけれども、逆にこちらが恐縮し謝ることになる。

こういう関係がとても大切なのだが、

今の世の中、当たり前だったものが、当たり前でなくなっていることを憂う。

日本は豊かな社会になった。

日本人は「貧乏」、つまり貧に対する道徳はずいぶん学んできた。

貧しくても人のものを盗んではいけないとか、わずかなものを隣人と分け合うことを教えられてきた。

しかし、豊かさを処する道徳は未熟である。

戦後日本人は死生観を失くしてしまった。

死を考えることは「いかに生きるか」の問題である。

しかし、この民族は70年近く思考停止してきた。

長年思考停止してきた人間は、2011.3.11 急に「生きかたを考えろ」と言われてもパニックになるだけ。

突然の「意味の喪失」は初めてではない。

1945.8.68.9、そして3.11と、3度も核を浴びた民族は日本だけではないか。3度目の正直...

それは、すべてを新しい方法で考え直すことができるスペースが生まれたということ。

今それが起きている。しかし、もたもたしているうちにスペースは閉じてしまう...

A.I