先日、長男の肺気胸の手術については、ブログで報告させて頂いたが、以前のご説明の通り、手術した後に、もう片方の肺も完全ではないという事が発覚し、そちらも手術が必要という事になり、でも緊急ではないので、夏休みにでも検査の上、相談しましょうという話になった訳だが、今度は三男(中学2年生)が胸がチクチク痛むと頻繁に言い出し始めて心配している。
うちの三人の子供は(全て男の子)元々、昔の私に似て(残念な事に今は、無謀なお酒と食事で、緊張感の無い身体になってしまいダイエット中・・・)かなり細くて体力もあまりあるほうではない。
そんな事もあり、学者肌(親バカ・・)の長男を除いては、二男、三男共にたくましくなってほしいという私の願いもありずっとサッカーをやらせていた。もとい!本人たちの希望がありやっていた。
今回の話を聞いて、まだ子供だし、疲れているだけだろうと思っていたが、長男の時の様に2年も前から「深い眠りにつけない」、「何となく息苦しい」etcと言われ続けていたにも関わらず、「大げさだな!」、「大丈夫だよ!」と真剣に聞いてあげなかった挙句に手術になってしまうという苦い経験をした私は、後悔と共に、未だに申し訳なかったという思いもあり、今回は何も無ければそれでいいし、素人考えで勝手に判断しないで速やかに病院に検査に行こうと決断した!
結果については、またこのブログで報告させて頂くとするが、最近自分の健康然り、仕事においても、今までの自分のつたない経験だけで、「大丈夫だろう」、「そうに違いない」、「そのはずだ」等、勝手に判断している事が多すぎやしないか?と少し反省している。
よく道路工事などをやられている会社の方から、我々の仕事は「だろう!」は厳禁で、必ず自分で最後まで徹底的に確認するのが最も重要な事なんだと聞いた事がある。それは、人の怪我や下手をすると命にまで及ぶ事故を起こしてしまう可能性があるからだと言う。
しかしよく考えると、この事は、道路工事の仕事に限らず、私の仕事も含め様々な事に言える事ではないだろうか?
3.11あの未曾有の震災をはじめ、相変わらず毎日の様に痛ましい事故や悲惨な事件のニュースが絶えない日が続いているが、世の中を見れば引き続き一層のデジタル化が進み、弊社もごたぶんに洩れず業務の効率化を図るという名目でシステム化を推し進めている中で改めて思うのは、どんなにそれを進めても、動かしコントロールをするのは人間であり、どこまでいっても最終的には現場はアナログである。また更に、最近はコミュニケーションスキルが低い人が多くなったとも聞くが、こんな時代だからこそ、私ももう一度言葉の持つ意味をよく考え、言葉を大切にし、言葉に責任を持ち、言葉で人に伝え続け、「だろう!」判断は完全にやめて、毎日を生きてみようと思う。
しげる