2015年12月28日月曜日

2016はCHANGEの年に!            広瀬欣也


 2015年も残すところあと3日。
今年もあっという間に過ぎ去ったというのが実感です。

そんな2015を振り返り、私にとって一番の事件は先日の入院でした。

みぞおち辺りが痛かったので、病院へ行ったところ狭心症と診断されそのまま入院、すぐさま車いすに乗せられ、カテーテル手術が行なわれました、人生初の手術台、局所麻酔をされ3人の先生が手術に携わってくれました。手術は1時間ほどで終わり、部屋を移動、担当の先生が、今行った手術の経過を動画(カテーテルが血管の中に入ってゆく様子)で詳しく説明してくれました。やはり心臓を取り巻いている血管の一本が詰まっていたので、ステントという金属のチューブを入れ血管を広げる処置をしたといことでした。詰まった血管にステントが入ったあと血液が流れていく様子はテレビではよく見ましたが、それが今自分のカラダに入っている。肉眼では見えないし、何の違和感もないので何か信じられない感じではありましたが、胸の痛みはすっかりなくなっていたので、、、ちゃんと機能しているのですね。適切な処置をして頂いた先生に感謝すると同時に現代医学ってすごいなと思いました。

「人生50年」織田信長の言葉ですが、かの時代は人生長くて50年だったのですね。つまり私もその時代に生きていたら人生51年で終わっていたのでしょうね。そう思うと、今回の一件は第2の人生をもらった気がします。

今まで30年もの間、よくお酒を飲みました。それが、この一件以来、ほぼ飲んでいません。先生には普通になら飲んでも大丈夫と言われましたが、飲まない日々を長い期間(自分にとって)過ごすと飲まなくても大丈夫というか飲みたくなくなるものなのですね、なにより二日酔いのない生活がこれほど快適だとは思ってもみませんでした。

今までは、お酒の美味しさと酔った時の開放されてゆく、あの感覚が気持ちよかったのですが、それがなくても大丈夫なくらい、今の一日中頭の中がクリアな感覚が心地よく思っています。(完全にやめたわけではありません、安心してください)

災い転じて福となす この一件を良い機会ととらえ、2016年は、良い意味で自分自身変わって行こうと思っています。 まだまだ現役を続けていかなくてはならないこの身体。ますますご自愛しなくては、、、、。

本年もCJ会にお付き合いいただきありがとうございました。
新しい年の、みなさまのご健勝とご多幸を心の底より祈っております。

どうぞ来年も、とにかく明るいCj会をどうぞよろしくお願いします。

2015年12月21日月曜日

『忙しい』・・・    SHUJI


今年一年を振り返って

CJ会としてのイベントは
毎年恒例の行事『おやじフットサル大会』と『研修旅行』ぐらい?
だったような気がします(笑)
新しく何かにトライしたり 準備を始めていたりすることは特に無かったような・・・

来年は
やっぱり もっといろいろなことにトライし、学びの多い一年にしたいと思います!

日頃忙しいメンバーとは思いますが 何かのイベントを立ち上げることのなかに
たくさんの出会いや学びがあることは言うまでもありません
前進しバージョンアップし続けることの重要性を感じます。


忙しいと言えば
この年末にショックなことがありました(>_<)

毎月両親の月命日には墓参りに行きます。
父親は12日、母親は16日
最近はほとんど16日に掃除と墓参りには行っていました。
12月12日は親父の命日
26年間ずっと 親父の亡くなった時刻10時20分には 必ず墓石の前で手を合わせてきましたが・・・
それがなんと
27年目にして・・・
すっかり16日と勘違いしてしまっていたみたいで・・・
12月16日に行って気づきました(T_T)

12月のこの繁忙期
いつも以上にやることが多く 更にこの時期に税務調査まで入っていて・・・バタバタ
情けないがテンパっていたのか・・・

もちろん
16日に墓石の前で平謝りしてきましたが
都合よく、親父が「今お前が一番にやることは仕事だよ!」と諭してくれたのかなぁと思うようにしています(とにかく優しい親父でしたから)


『忙しい』とは
『心を亡くす』と書く
と何かの本で読んだことがあります。

心を亡くす・・・嫌なことです。

どんなに忙しくても
心を亡くさずにいようと強く思え、学びの多い出来事でした。
日々の反省と感謝を再確認することも出来ました。

そんな中
このことを反省材料にしてもらおうとスタッフに話したところ
「そういうところ一番大切にされていたのに珍しいですね!」と驚いてくれました。

日頃からそう思ってもらえていたこと、その一言でちょっと救われた気がしました。
(実はかなり自分を責めていましたから・・・)
言葉には力がありますね。。。

目には見えないことの大切さ!

これからも
心を亡くすことなく
大切にしていきたいと改めて思いました。

今年一年
大きな事件事故もなく
無事に過ごせたこと 感謝し
来年を迎えたいと思っています。

来年もどうぞよろしくお願いいたします!!!

2015年12月14日月曜日

突然の訃報  五十嵐

先週の土曜日、朝6時30分に家の電話が鳴り、こんな朝早い電話は何かあったと直感で感じました。
実家の兄からで、母が朝亡くなったという話でした。前日に母がうちの奥さんと電話で仲良く
話していることを知っていたので、いまだに実感がありません。

母は、若い時から目にハンディキャップをもっていて、最近は殆ど見えない状態でしたが、
食事も多少の運動もしており、病気ではないことは親族が分かっていましたが、咳をしたときに
のどがつまり、呼吸困難での診断でした。
父が亡くなった時は、病気でしたので、親族が覚悟ができていましたが、今回は自分の中でも
整理がついていない状況です。

89歳という年齢は、大往生といえると思いますが、来年3月に90歳になるときに、子供4人で
お祝い旅行を計画しておりました、迷惑ばかりかけた少しでも小さな親孝行と思っていましたが
かなうことはできません、後悔ばかりがつのっています。

生前の母は、厳しさの中に深い優しさがある人でした、私が小さい時に生活環境が厳しい人に
親切に接していました。あるひとは父親が蒸発して母親が面倒見れない子供さん、一人暮らしの
高校生、母親が再婚するにあたり手放した子とも等々、数えきれないほどの人を家に招き
少しでも家庭の味を経験させていました、しかしながら当の家族は多少の犠牲がでていて、
家に帰っても、家族だけの時間は殆ど無い状況でした。

父は何も言わずに、母がやっていることにただ協力している状況で、子供の私たちもそれが
普通の生活だと思っていたほどです、友達の家ではそんなことはなく、ちょっと違っているなと
思ったのは、大人になってからでした。
ただ今回の葬儀に、そのお世話した方々が殆ど参列して頂き、母の偉大さを痛感しています。

今年は、年初めに大親友を亡くし、年の瀬に大事な母を亡くしてなんという年なのか言葉が
ありません。

もっと親孝行をしていればと思う事が、今の私の中で後悔してなりません。

2015年12月8日火曜日

第91回早明戦 Yuji.H

日曜日に秩父宮ラグビー場で明治対早稲田の対抗戦最終戦が行われました。
結果は32-24で明治が勝ち、対抗戦を6勝1敗と帝京に並び同率優勝となり、3年振りに対抗戦優勝となりました。

一昨年の早明戦は国立競技場最後という事もあってユーミンが試合終了時に名曲「ノーサイド」も歌い、5万人の大観衆の中で開催された事がまだ記憶に新しいですが、昨年から国立競技場改修工事の為、秩父宮ラグビー場に場所は移されました。

今年も2万枚のチケットは販売開始早々に完売し、五郎丸フィーバーで勢いに乗ったトップリーグの開幕戦が1万7千人も記録でしたが、今回の試合は2万2千人入るという、超満員となり、大学スボーツでは唯一のNHKで生放送もされるという大正時代から伝統の一戦です。

その試合に息子がピッチに立つことが出来ました。
我が子ですが誇らしく思い、試合中も涙が止まりませんでした。

今から10年前、まだ小学生のラグビースクールに通っていた頃に、早明戦を国立まで見に行って、これからも頑張って明治に入って早明戦で10番を着たいという夢を追い続けてきましたが、遂に叶いました。

2015年12月2日水曜日

ミャンマー総選挙結果 TERU

11月8日 ミャンマーの総選挙が実施されました。

軍事政権が占めていた政権を、今まで野党と言われていた国民民主連盟NLDが348議席を獲得し、664議席の過半数を獲得した結果で終わりました。
軍人枠と言われる特別枠が1/3ありますので民選枠498議席のうちで考えると70%以上の議席を確保した計算になります。
与野党逆転で民主化がさらにすすみ、国民の皆さんも住みやすくなっていく事でしょう!

私たちの店舗も細々と営業していますが、今後どの様に変わって行くか楽しみです。

ミャンマーの方達はミャンマースタイルなので、勤勉ではないですが、仕組みをしっかり作ってやる事を明確にしていればソツなく行ってくれます。

日本人の場合なら当たり前に思っている事が、ミャンマーでは通用しません。
しかし、こうです!と決まればその様に動いてくれます。

働ける年代の方が、全てそうなれば相当な労働力を発揮してくれる事になります。

ご多聞にもれず、うちのスタッフの扱いも苦労していますが日本の商社やゼネコンの方達は相当苦戦している様です。

今後、ミャンマーがどの様に発展して行くかは今後のブログでも更新します!