2016年10月31日月曜日

知行合一の難しさ       Shuji

早いものでもう11月になる。
自分の中での1年という単位の時間が
感覚的にどんどん短くなってきた。
一日一日を大切に過ごさなければ・・・と
思っていても、流れに任せてしまっているときがある。
無駄な時間を過ごしてしまっているときがある。再度反省


何かで目にした言葉がある。
「君が無駄に過ごした«今日»は、
昨日死んだ誰かが 死ぬほど生きたかった«明日»」


自らが明日の命と知ったならば
今日という日の動き方、感じ方は
今日と同じだっただろうか・・・
そんなはずはないだろうな。




時間とは
老若男女を問わず
国籍を問わず
貧富を問わず
すべてのものに公平に
与えられている数少ないもののうちの一つ


それを大切にしないとなぁ!


自分自身の時間ならどう使おうが、その人の自由。
その後のリアクションは、すべて自己責任だから。
でも、他人の時間を奪ってはいけない。
そのことを
わかられていない人が多いことに驚きます。
頭ではわかっているのでしょうが
「知行合一」が出来てない。
ということは・・・わかってない!ということ。


少なくとも
自分の影響力が及ぶ範囲(家族、会社など)には
伝えていきたいと思う。
(自分でもまだまだだが、そこの意識はしっかりと持ち続けたい
偉そうなことを言っても一瞬で信頼をなくしてしまうと強く意識しているから)


一昔前の自分は
もっと大きな声でそのことを伝えただろうなぁ。
いつからだろう・・・大きな声で伝えることをやめたのは(笑)


私の周りにも
唯物論者的な見方をする人が増えてきたから?か
昔はもっと目に見えないものの話が多かった気もする。
物質的に潤っている人を称える価値観の人も多くなっている
当会にもそちら側の価値観によりウェイトを置く人もいる。
それはそれでどちらが良し悪しという問題とは一切関係ない(どちらも必要)が


根本的には私の価値観とは少し違いがある。
目に見えないものの価値とそれを敬う心
質素で素朴だが非常に気高いものの価値
静かだがうちに秘めたる気概
自己快楽だけではない満足感・・・などなど


また昔のように
前世や信仰心や宇宙なんかの話も
激論を交わしたいなぁなんて思うこともある。
懐かしいなぁ・・・


上魂、中魂、下魂
ではでは
今世の魂修行をいたしましょう。
こんなことを書いているなんて
心が外に向いてるうちはダメですね(笑)
まずは自己鍛錬
内省し自らを正していきましょう。




※   『人生は勉強だ!』という会のコンセプトに立ち返ってみたい!