1月の仕事初めから1日が過ぎた6日の夜に、予期せぬ一本の電話が自宅にかかってきました。
子供の時からの大親友が亡くなったとの連絡が娘さんからきました。
数年前に電話があり、その時にお客様との接待の真っ最中で電話に出れなく、その留守電には
自分への罵声が録音されていました。
その週の日曜日に、友人の家へ出向き謝ろうとしましたが、奥さんが玄関先で自分とは会いたく
無いと言われ、それっきり会っていませんでした、そしてふた月前に「お互い年をとってきたので
久しぶりに会おう」ということになり友人の自宅におじゃますることになりました。
ひと月前に数年ぶりに会い2時間程昔話をし、他愛も無い話をして、あっという間に時間が過ぎ
昔を思い出しました。
何故かお互い、数年前の話は出さずに、将来の事や子供の事などを話して、年が明けたら
今度は自分の家に来るという約束をして別れました。
その時はすでに、”がん”が進行していて余命もわかっていたように思いますが、一言も話しが
無く、心配させまいとの彼のやさしさだったのかもしれません。
彼とは、高校を卒業した後に彼が就職、自分は大学進学で一緒に東京に来て、お盆・正月も
一緒に帰郷をし、お互いのアパートや寮に泊まったり、結婚式もお互いに出席する付合いを
していました、お互いの子供も親戚のように接して、親兄弟よりも家族で一緒にいる時間が
多かったように思います。
今でも悔やんでいることは、彼に何もしてあげられなかったことを悔やんでやみません。
告別式に出席し、変わり果てた姿に、現実を認めたくなく言葉が出てきませんでした。
お別れに出席した人たちは、優しかった彼の生前を惜しむように悲しみに暮れていました。
二月が経った今でも、毎日思い出します。
知人・友人が先に逝くことは覚悟しなければいけないのですが、この親友の死はかなりひきずって
います。
自分もいくつまで生きられるか分かりませんが、みんなに愛されて旅立っていきたいと思います。