CJブログをご覧の皆さんはご存知でしょうか?
我がCJ会には設立当初から変わらないルールがあることを・・・
会で決定したことに対して・・・
1、熱い心で挑む
2、継続する
3、遅刻、欠席はペナルティ
当たり前のことですが、時に厳しくこたえるものです。
そう、忘れっぽい私にとってみれば・・・
会で決定したひとつにこのブログ更新があります。
毎週月曜日に各会員が自分の仕事、プライベート、人に役立つことや
自慢話など投稿するのです。
いかなる理由があっても 『月曜日』に!!
一日一日と私のペナルティは加算でくるのです。
本日は水曜日!!!
以下、本文といたします・・・
報告いたします。
7月22日に父が他界しました。
この時期はお盆前ということもあり、毎年「お施餓鬼」という寺の行事と重なり
27,28日に密葬、8月6日に本葬となりました。
今まで父自身、そして会社創立者として支えて下さった皆様に対し、
心より御礼申し上げます。
以下、あとがき
大変忙しかったことは確かです。
ブログを書く暇が無かったのでは?・・・いいえ。
ブログどころじゃないでしょう?・・・前の日から書く気満々でした。
CJ会に新しいルールを提案します。
CJ会員たる者、「許す」心でいよう!!
2015年7月29日水曜日
2015年7月20日月曜日
社長の椅子 M.KOMORI
植野氏に遅れること3日、この19日で50歳を迎えました。沢山の方から祝福を受けここまでやって来れられたこと改めまして感謝申し上げます。次の60歳に向け休むことなく全力で駆け抜けたいと思いますので、どうぞ変わらぬご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。
写真は社員の方々に頂いた「社長の椅子」と「千羽鶴」です。千羽鶴?と思いましたが、病のイメージとは別に「長寿を祈念する」という意味があるそうです。新人君の発案で製作には1ヶ月程掛かったそうです。プライベートな時間を割いて頂いて心のこもったプレゼントに感動いたしました。ありがとう!
「四人も娘がいるから心配ないか。誰かが良い婿連れてくるよな」
いえいえ、どんなに優秀な婿殿でも一朝一夕にはこの生き馬の目を抜く業界では通用しません。そろそろ二代目発掘また教育をして行かなければならない時期なのです。
そんな折ある方のコラムを目にしました。「社長最大のストレス」社長一番のストレスは期待していた優秀な社員が辞めたとき。なるほど。
創業当時から、周りの会社を見渡すと良い会社・伸びている会社には必ずと言って良いほ
ど、優秀な右腕・腹心の部下が存在しています。そんな優秀な社員さんが辞めてしまうと本当に大変でしょう。まだ私には経験がないですが。
ど、優秀な右腕・腹心の部下が存在しています。そんな優秀な社員さんが辞めてしまうと本当に大変でしょう。まだ私には経験がないですが。
ではどうするか?「一つは、初めから優秀な人材は採用しないこと。もう一つは、優秀な人材にしかできない仕事をつくらないこと」
仰せの通りだと思います。ただ実践だと難しいことも多いです。優秀な人材は欲しい!この仕事はあの人にやってもらわないと進まない・・。
問題山積ではありますが、今を生き抜くため未来へ成長させて行くため、やはり自分が先頭きって頑張るしかないですね。
優秀な部下を持つそこの社長!その社員が辞めるならまだしも、会社ごと乗っ取られないようにね(笑
2015年7月13日月曜日
誕生日を迎えるにあたり思う事 S.UENO
また、9月で会社を創業して、ちょうど半分の25年間が経とうとしている。
多少?体力の衰えは感じつつも、まだまだ若いと思ってはいても、よくよく考えてみれば、紆余曲折ありながらも半世紀生きてきた(生かされてきた?)訳である。
そう考えると、親兄弟をはじめ友人、知人、etc・・一体どれだけの人達に助けられ、支えられて、また迷惑を掛けながら今の自分が存在出来ているのか?考えれば考えるほど、改めて感謝の気持ちが足りない自分に自己嫌悪になるばかりである。
希望的観測としては、人生の折り返し地点!残り人生50年と言いたいところだが、私の日々の不摂生極まりない生活を改めない限り、あと何年生きられるかは甚だ疑問ではあるが、せめて三人の息子の孫の顔を見る位までは生きたいなぁなんて考える。
幸か不幸かサラリーマンではないので定年はないが、会社をいつ、誰に、どの様な形で引き継いでいくか?(倒産しないでいれればの話ですが・・・笑)
とか、自分の残りの人生をどう過ごしていくか?なんて事を、柄にもなく考えていたら、様々な事に思いが巡り、それなりにしっかりと考えをまとめて、準備をしておかなければいけない事って、思いのほか沢山あるなぁ・・なんて思っています。(あれは早々に処分しなければ・・とか笑)
それにも増して、これから残りの人生を悔いなく過ごしていく為にも、また最後は良い人生だったなぁと笑顔で旅立てる為にも、今までの50年間をきちんと振り返り、有形無形をとわず何か意義あるものを残せているだろうか?今の自分は少しでも周りに良い影響を与えられているだろうか?感謝の気持ちを忘れてやしないか?このままでいいのかなぁ?(良いわけない!爆笑)なんて事も考えていると、最後はまだまだ勉強が足りん!と言う結論に至るわけであります。(笑)
男50歳にもなって、まだまだ直すところだらけのこんなポンコツの私ですが、皆様どうか暖かい心で引き続きのご指導を宜しくお願い申し上げます。
仲良くしてね・・・
2015年7月6日月曜日
沖縄のおばあちゃん 広瀬
先週の代表ブログに引き続き、今週も沖縄レポートをお届けします。
今年のCJ旅行は天候にも恵まれ非常に有意義に時間を過ごすことができました。
また.今回は初の試みである民泊を体験、沖縄の方の日常生活にふれたり.ガイドブックには決して載らない場所を案内してもらったりと貴重な体験をさせていただきました。
座喜味さん仲村さんを初めとしたスタッフの皆様にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。
座喜味さん仲村さんを初めとしたスタッフの皆様にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。
さて、今回の旅で私の最も印象に残ったのが御年93才のおばちゃん、はるさんとの出会いでした。ご自宅に訪れるなり、満面の笑みと、元気なお声で私たちを出迎えてくれました。
沖縄のおばあちゃんは元気だということはテレビなどの情報で多少は知っていましたが、実際にあってお話しをさせていただくとその元気さに圧倒されてしまいました。まず、眼光が鋭い❗数々の喜びや悲しみを乗り越えてこられたんだろうな~と勝手に推測してしまうくらい鋭くも優しい眼差しでした。そして、茶目っ気たっぷり❗私が最初お年を訪ねると、いくつに見える~?なんてかえしてきたりしますし、一緒に泊まったt社長のくだらないジョークにはつっこみを入れたり、お伺いした日がたまたま誕生日で、親戚の方が用意したお誕生日ケーキのろうそくを一気に吹き消してしまったその体力にも驚かせれました。最後は沖縄民謡の躍り方まで教えてもらって、本当に楽しく・心が温まるひとときを過ごさせていただきました。はるさん!いつまでもお元気でいて下さいね!
続いては、なでしこジャパン。
決勝では残念ながらアメリカに負けてしましましたが、充分楽しませてもらいました。
最近読んだ本 「100の基本」 にこんなことが書いてありました。
「敗者になっても弱者になるな」 負けてもチャレンジを続ければ必ずチャンスはやってくる、弱者にチャンスはやってこない。
昨日51才になった自分に言い聞かせたい言葉です。
2015年6月29日月曜日
CJ会 研修旅行・沖縄 SHUJI
今年もCJ会の研修旅行で沖縄へ行ってきました!6月25日~
総勢9人での旅行
うち5人は 2泊3日 ・ 4人は 3泊4日という変則日程で
1人を除く 8人はいつもと少し思考を変えて『民泊』1泊にも初挑戦!!!
民泊の宿泊場所は
先日 所沢のしゃぶしゃぶ観に読売新聞様とのご縁で来店していただいたことのある みなさまがプロデュースしている 名護市の羽地(はねじ)という地域
羽地内海に面し 水田が広がりどこか懐かしさを感じる田園風景と佇まい。
今回はそこの地域のみなさまにお世話になりました。
9:00に那覇空港に着き レンタカーで北上
途中 許田の道の駅で買い物と名物のメンチカツなどをいただき
沖縄そばやソーキそばを食べに 名護の大家(うふやー)へ
14:30に羽地の道の駅に集合し
受け入れ民家さんの方々とお顔合わせ
そこから 羽地民泊事務所(源河小学校跡)に行き 民泊の説明を受ける
そのあと全員で 普久川滝へトレッキング いい汗かきました。(大汗)
事務所に戻り、4人ずつ二組に別れて各受け入れ先の民家さんへ移動
1班は チクホーの宿 仲村さん宅へ
もう1班は 座喜味農園 座喜味さん宅へ
民泊とは
普通の沖縄の民家へ泊まり そこの家族と「沖縄の暮らし」を丸ごと体験するプログラム
イチョリバチョーデー(一期一会)の想いを大切にされている現地の方々に、とても温かくお迎えていただきました。心から感謝です!
私は 仲村さん宅にお世話になりました。
ちょうど宿泊した日が オバーの93歳の誕生日
とっても元気で活発なおばあちゃんに元気と笑顔を、凄く美味しい家庭料理とともにいただいちゃいました。
≪ここのくだりは 次週のブログ担当の広瀬より 俺に任せろ!ということですので~任せます≫
翌日は
美味しい朝食をお腹一杯いただいたあと仲村さん宅を出発
仲村さんの案内で 元祖ソーキそばのお店(我部祖河食堂本店)を覗き
沖縄のお墓を見に行き いろいろと教えてもらいました。
古我知焼きの窯元に立ち寄り 沖縄の骨壺や焼き物を見てから
嵐山展望台へ
ここでもう1班と合流してそれぞれ昨夜の話を!
お互いが楽しい夜を過ごすことが出来て良かった~
お世話になったそれぞれの家庭のホスピタリティにただただ感謝です。
座喜味さんの案内で
パイナップル畑、水田、お茶畑、羽地ダムを見学
沖縄は昔から水に困っていたという話は聞いていたが
羽地という地域はなかでは水があったようでした。
だから 米を作ったりお茶が出来たりと
羽地自体で生活が完結できるところのようでした。
沖縄の他の地域とは光景が違って見えたのは背景にそういうこともあったからと知りました。
羽地の町中に戻り
羽地民泊推進協議会の方や市役所の方、間を取り持っていただいた会社の方と宿泊先の受入民泊の方々と交流会をしました。
ここでもまた 手作りの沖縄家庭料理がたくさん
こちらの人の良さが本当に伝わり温かくなりました。
たくさんの心のこもった料理をいただきありがとうございました。
(残してしまいすみません・・・)
大人の民泊を今後どのようにしていくか?
宿泊してみての感想や意見を交換し時間がすぐに経ちました。
ご縁あって モニターとして大人の民泊を体験させてもらい
少しでもお役に立つことがあるなら微力ながらさせていただきたいと思います。
まだまだ課題はあるでしょうが
羽地の民泊にかかわっている方々の気持ちや温かな心、人柄が一番の魅力に間違いないと感じます。
今後の羽地民泊におおいに期待し応援をさせていただきます。
名残惜しい気持ちを残し みなさんと別れ一路 瀬底島へ
そこで40代50代のおやじチームは フライボードに挑戦
今回の旅行は やったことのないことを!というのをテーマにプランしました。
初めてやったフライボード 思っていたより何倍も楽しかった!
ジェットスキーの排水を利用し消防車のホースのようなものと一体化した靴を履き
水面を浮くように立ったり落ちたり・・・
子供に返ったようにみんな無邪気にチャレンジしていました。
おやじたちもみんな立てて?チャレンジは成功でした!
那覇のホテルまでの帰り道
今回行きたいところの一つにあげた
アメリカンな「シーサイドドライブイン」で名物のスープと夕食で打ち上げを!
歴史を感じる佇まいと年季の入ったサービスに
島民に支持され残っている強さを感じました。
古き良き沖縄っていう感じでしょうか!
ホテルにチェックインした後は自由行動で!
翌日 私は2泊組と別れて本島の東側から南部に!
うるま市~海中道路を通り~浜比嘉島(流下式塩田の見学・シルミチュー、アマミチューの霊石めぐり・ぬちうなー)~北中城村~嘉手納(海が見えるそば家)~北谷(アメリカンビレッジ)~宜野湾市~与那原~南城市(ケイブカフェ)~糸満市(アウトレット)などなどとのんびり周りました。
今回はいつもの沖縄ではないもの!を実践し
行きそびれたところやマイナーなところなど
有意義な時間を過ごすことが出来ました。
※日記のような書き込みになってしまったが・・・お許しを
それにしても
大なり小なりハプニングが起きるこの会の旅行
次回はどこに行くのでしょう?
メンバーみんなの会社と身体と心と経済力の健康を祈り
まだまだ笑いの伝説を作りましょう(笑)
お疲れ様でした!
総勢9人での旅行
うち5人は 2泊3日 ・ 4人は 3泊4日という変則日程で
1人を除く 8人はいつもと少し思考を変えて『民泊』1泊にも初挑戦!!!
民泊の宿泊場所は
先日 所沢のしゃぶしゃぶ観に読売新聞様とのご縁で来店していただいたことのある みなさまがプロデュースしている 名護市の羽地(はねじ)という地域
羽地内海に面し 水田が広がりどこか懐かしさを感じる田園風景と佇まい。
今回はそこの地域のみなさまにお世話になりました。
9:00に那覇空港に着き レンタカーで北上
途中 許田の道の駅で買い物と名物のメンチカツなどをいただき
沖縄そばやソーキそばを食べに 名護の大家(うふやー)へ
14:30に羽地の道の駅に集合し
受け入れ民家さんの方々とお顔合わせ
そこから 羽地民泊事務所(源河小学校跡)に行き 民泊の説明を受ける
そのあと全員で 普久川滝へトレッキング いい汗かきました。(大汗)
事務所に戻り、4人ずつ二組に別れて各受け入れ先の民家さんへ移動
1班は チクホーの宿 仲村さん宅へ
もう1班は 座喜味農園 座喜味さん宅へ
民泊とは
普通の沖縄の民家へ泊まり そこの家族と「沖縄の暮らし」を丸ごと体験するプログラム
イチョリバチョーデー(一期一会)の想いを大切にされている現地の方々に、とても温かくお迎えていただきました。心から感謝です!
私は 仲村さん宅にお世話になりました。
ちょうど宿泊した日が オバーの93歳の誕生日
とっても元気で活発なおばあちゃんに元気と笑顔を、凄く美味しい家庭料理とともにいただいちゃいました。
≪ここのくだりは 次週のブログ担当の広瀬より 俺に任せろ!ということですので~任せます≫
翌日は
美味しい朝食をお腹一杯いただいたあと仲村さん宅を出発
仲村さんの案内で 元祖ソーキそばのお店(我部祖河食堂本店)を覗き
沖縄のお墓を見に行き いろいろと教えてもらいました。
古我知焼きの窯元に立ち寄り 沖縄の骨壺や焼き物を見てから
嵐山展望台へ
ここでもう1班と合流してそれぞれ昨夜の話を!
お互いが楽しい夜を過ごすことが出来て良かった~
お世話になったそれぞれの家庭のホスピタリティにただただ感謝です。
座喜味さんの案内で
パイナップル畑、水田、お茶畑、羽地ダムを見学
沖縄は昔から水に困っていたという話は聞いていたが
羽地という地域はなかでは水があったようでした。
だから 米を作ったりお茶が出来たりと
羽地自体で生活が完結できるところのようでした。
沖縄の他の地域とは光景が違って見えたのは背景にそういうこともあったからと知りました。
羽地の町中に戻り
羽地民泊推進協議会の方や市役所の方、間を取り持っていただいた会社の方と宿泊先の受入民泊の方々と交流会をしました。
ここでもまた 手作りの沖縄家庭料理がたくさん
こちらの人の良さが本当に伝わり温かくなりました。
たくさんの心のこもった料理をいただきありがとうございました。
(残してしまいすみません・・・)
大人の民泊を今後どのようにしていくか?
宿泊してみての感想や意見を交換し時間がすぐに経ちました。
ご縁あって モニターとして大人の民泊を体験させてもらい
少しでもお役に立つことがあるなら微力ながらさせていただきたいと思います。
まだまだ課題はあるでしょうが
羽地の民泊にかかわっている方々の気持ちや温かな心、人柄が一番の魅力に間違いないと感じます。
今後の羽地民泊におおいに期待し応援をさせていただきます。
名残惜しい気持ちを残し みなさんと別れ一路 瀬底島へ
そこで40代50代のおやじチームは フライボードに挑戦
今回の旅行は やったことのないことを!というのをテーマにプランしました。
初めてやったフライボード 思っていたより何倍も楽しかった!
ジェットスキーの排水を利用し消防車のホースのようなものと一体化した靴を履き
水面を浮くように立ったり落ちたり・・・
子供に返ったようにみんな無邪気にチャレンジしていました。
おやじたちもみんな立てて?チャレンジは成功でした!
那覇のホテルまでの帰り道
今回行きたいところの一つにあげた
アメリカンな「シーサイドドライブイン」で名物のスープと夕食で打ち上げを!
歴史を感じる佇まいと年季の入ったサービスに
島民に支持され残っている強さを感じました。
古き良き沖縄っていう感じでしょうか!
ホテルにチェックインした後は自由行動で!
翌日 私は2泊組と別れて本島の東側から南部に!
うるま市~海中道路を通り~浜比嘉島(流下式塩田の見学・シルミチュー、アマミチューの霊石めぐり・ぬちうなー)~北中城村~嘉手納(海が見えるそば家)~北谷(アメリカンビレッジ)~宜野湾市~与那原~南城市(ケイブカフェ)~糸満市(アウトレット)などなどとのんびり周りました。
今回はいつもの沖縄ではないもの!を実践し
行きそびれたところやマイナーなところなど
有意義な時間を過ごすことが出来ました。
※日記のような書き込みになってしまったが・・・お許しを
それにしても
大なり小なりハプニングが起きるこの会の旅行
次回はどこに行くのでしょう?
メンバーみんなの会社と身体と心と経済力の健康を祈り
まだまだ笑いの伝説を作りましょう(笑)
お疲れ様でした!
2015年6月22日月曜日
マイナンバー iga
マイナンバーに意義あり iga
今年も半年が過ぎようとしています。
日本社会もめざましく変化をしていて、10月からはマイナンバー制度が始まろうとしています。
多くの国民がこの制度をどれだけ理解しているのでしょうか?またこの制度自体本当に必要なのでしょうか?
個人的には、聞けば聞くほど全く理解不能な制度にしかみえません。
世界的にみても、日本は遅れているマイナンバー制度だといわれますが、すでに雇用保険番号・年金基礎番号・基本住民番号といった個人を特定できる番号は既に存在しているはずです。
この制度でわかることがあれば、行政事務の一部が楽になることしかみあたりません。
行政事務の一部を楽にするために、一般企業事務仕事が増えるのは全く理解できないこととIT社会になってID・パスワードといった忘れてはいけない情報が余りにも多くなっています。
ある行政機関の方とマイナンバーについてお話をさせて頂いたときに、個人がマイナンバー提供を拒否することもあるのでは?
との回答に、拒否されたら無記載でも大丈夫だという回答でした。
無記載の時にはどういう事が起きるのか?の質問には、解らないとの回答でした。
今現在の状況だと、先延ばしか一度リセットをして再度構築する必要があると思います。
我々民間企業は、売上が上がらなければお金を得ることはできません、行政のように請求書も出さずにお金を得ている事がこのような状況になるのではないでしょうか。
社会倫理に則った手法を、考えて頂いて平等な社会を創ってもらいたいと願うばかりです。
今年も半年が過ぎようとしています。
日本社会もめざましく変化をしていて、10月からはマイナンバー制度が始まろうとしています。
多くの国民がこの制度をどれだけ理解しているのでしょうか?またこの制度自体本当に必要なのでしょうか?
個人的には、聞けば聞くほど全く理解不能な制度にしかみえません。
世界的にみても、日本は遅れているマイナンバー制度だといわれますが、すでに雇用保険番号・年金基礎番号・基本住民番号といった個人を特定できる番号は既に存在しているはずです。
この制度でわかることがあれば、行政事務の一部が楽になることしかみあたりません。
行政事務の一部を楽にするために、一般企業事務仕事が増えるのは全く理解できないこととIT社会になってID・パスワードといった忘れてはいけない情報が余りにも多くなっています。
ある行政機関の方とマイナンバーについてお話をさせて頂いたときに、個人がマイナンバー提供を拒否することもあるのでは?
との回答に、拒否されたら無記載でも大丈夫だという回答でした。
無記載の時にはどういう事が起きるのか?の質問には、解らないとの回答でした。
今現在の状況だと、先延ばしか一度リセットをして再度構築する必要があると思います。
我々民間企業は、売上が上がらなければお金を得ることはできません、行政のように請求書も出さずにお金を得ている事がこのような状況になるのではないでしょうか。
社会倫理に則った手法を、考えて頂いて平等な社会を創ってもらいたいと願うばかりです。
2015年6月15日月曜日
円安ドル高 Yuji.H
最近、円安でよい事がまったくなく、苦労しております。今まで為替で得していた円高時代の益を全部吸い取られた感覚です。きっと世の中はうまく出来ているんですね。
今日あたりで123円台半ばまで少し落ちましたがまだまだこんなものじゃ全然駄目です。
やはり私が思うに輸出入業全体で世界のパランスを含めても1ドル95円前後がベストだと思ってます。
確かにアベノミクス効果は輸出企業や、海外から訪れる観光客達に対しては一定の効果を大きく発揮しましたが、日本から旅立つ観光客者や、我々の企業の様な輸入がメインだとここ1年半程は相当厳しい現実です。
例えば今から2.5年前の2013年1月は1ドル89円でしたので、もし1000万の物を今購入すると1400万になります。実に400万もUPです。1億の商品だと1.4億となり4000万も増えてしまいます。うちの会社辺りでも年間数億円は輸入するので、為替損だけでも約1億程度になります。
これじゃどうにもなりません・・・
ただ販売している彼らはとくに利益を多くもらっているのではなく、全くいつも通りなので、それはそれで面白い話なんですが・・・
先月仕事で香港に行ってきましたが、お店で人気ブランドバックの値段を見たら日本で25万のバックが35万で売られてました。ちなみにミネラルウォーターも一昔前は1本70円だったのに130円でした。ほぼ日本で売っている者よりも全部強烈に高く感じます。
ただそれを感じているのは円安となっている我々日本人だけであり、逆に中国人はそれを安い安いと私の横で爆買いしているのです。彼らは逆に全ての物が付けている値段より7~6掛けに見えるからです。5年前の日本と全く逆転現象ですね。
現在長男がアメリカに留学してますが、車社会なので取りあえず売る時の事も考えプリウスの中古車を購入する事を進めました。送られてきた見積りを見ると、$19,000なので少し前の日本だと170万程度で妥当なのですが、振込した日が1ドル125円でしたので238万海外送金する事になり悲しい限りです。3年前とは70万の差があるのです。
息子の授業料もそうです。ただでさえ高額なのにここに為替が影響して1.5倍となっております。
これじゃ海外出張も海外旅行も留学も中々行けないですね。
登録:
投稿 (Atom)